未経験でもできる少額投資日経225マイクロ先物のシストレ

成功するための無駄遣い

あなたは今、

どういうお金の遣い方をしていますか?

成功者と呼べる人は、0.1%もいません。

この事実を訳すとすれば・・・

あなたのお金の遣い方は、

99.9%の確率で、

無駄遣いということです。

しかし、

それでいいのです。

どんどん、無駄遣いをしてください。

あなたが成長し、

あなたが別人になったときに初めて、

それが無駄遣いであったことに気付けるのです。

無駄遣いをするエコノミーは、

それが「無駄遣い」であることに気付けていないからこそ、

無駄遣いしているのです。

無駄遣いをしている最中は、

それが最も正しい遣い方だと信じ込んでいるのです。

いいえ。

信じ込みたいのでしょう。

自分へのご褒美だとか何とか、

くだらない理由をつけて、

無駄遣いを正当化し、

無駄遣いに無駄遣いを重ねながら生きているのが、

エコノミーです。

彼らは、

無駄遣いが好きなのです。

悲しいことに・・・

世間では、

「無駄遣いをなくしてお金を貯める方法」が賑わっています。

お金を貯めようとして貯めるのは、

エコノミーがやることです。

どれだけお金を貯めたところで、

あなたにとってマイナスにしかなりません。

むしろ、

喜んで無駄遣いをするべきです。

ただ、

「無駄遣い」という言葉の意味が違うのです・・・

未来のあなたが、

自分がそれまでに積み重ねてきた無駄遣いに気付けるのなら、

その無駄遣いには価値があります。

要するに、無駄ではないのです。

しかし、

あなたが成長することなく、

別人になれないとすれば、

あなたは永遠に、

今この瞬間も積み重ねている無駄遣いに気付けぬまま、

命の終わりを迎えます。

その無駄遣いは、

文字通りの「無駄遣い」と化してしまうのです。

あなたは今、

どういうヒトにお金を遣い、

どういうモノにお金を遣い、

どういうコトにお金を遣っていますか?

あなたがどれだけ慎重にお金を遣ったところで、

そのお金の遣い方は・・・

99.9%の確率で間違っています。

お金を正しく遣える成功者は、

0.1%もいないからです。

どういうヒト・モノ・コトにお金を遣うべきか、

真剣に、

考え直してみてください。

お金は、貯めないことです。

お金は、

遣うためにあるのですから。

お金を正しく美しく遣えない人間は、

永遠に潤いません。

お金の遣い方に、基準を据えてください。

お金を遣うことで、

自分の成長につながるか、否か?

お金を払う時の判断基準は、

それ1つで十分です。

あなたが誰よりも成長し、

あなたが誰よりも成功することで、

あなたの周りにいる人々を、

もっと豊かに、

もっと幸せにできるのですから。

そのためにも、

どんどん遣い、

どんどん無駄遣いを経験してください。

いつまで経っても、

その無駄遣いに気付けないのなら、

それがあなたの器です。

エコノミーの世界を抜け出したいのなら、

エコノミーとは真逆の遣い方をしてください。

エコノミーがお金をケチるようなヒト・モノ・コトに対してこそ、

惜しみなくお金を払ってみればいいのです。

お金を遣うことによって、

お金の対価がどこに生まれるのか。

それは全て、

あなたの考え方次第です。

エコノミーのお金の遣い方は、

成功者には理解できませんし・・・

成功者のお金の遣い方もまた、

エコノミーには理解できないでしょう・・・

正しい稼ぎ方は無限に存在しますが、

正しい遣い方は1つしかありません。

あなたのお金の稼ぎ方ではなく、

あなたのお金の遣い方にこそ、

「あなた」という人が現れているのです。

あなたが今、

どれだけ真剣に悩み、

どれだけ慎重にお金を遣ったところで、

その遣い方は、ほぼ確実に無駄遣いです。

未来のあなたは、その無駄遣いに気付けるでしょう。

過去の自分の愚かさに、気付けること。

それが、

あなたの「成長」です。

真剣に悩んだところで、

無駄遣いにしかならないということを知りつつも、

真剣に悩み、

真剣に考え抜き、

真剣にお金を遣ってみてください。

愛かお金か

世の中には、

2種類の人がいます。

愛よりお金を選ぶ人と、

お金より愛を選ぶ人です。

要するに、

愛よりお金を優先するエコノミーと、

お金より愛を優先する成功者です。

愛か、お金か。

この2つを、

天秤に載せて比べてみてください。

あなたは今、

どちらに重みを感じますか?

「重み」というのは、重要度です。

重いものは、重要なのです。

重要でないものは、軽いのです。

エコノミーは、

99.9%の確率で、

愛よりお金を優先します。

なぜなら、

お金が重要だと考えているからです。

お金「さえ」あれば、

人生が豊かになるものと勘違いしているのです。

「重要」というのは、「大切」ということです。

「大切」というのは、「かけがえがない」ということです。

エコノミーにとって、

お金はかけがえなく大切なのです。

エコノミーの世界では、

きっとこんな言葉が飛び交っています。

「お金を大切にしなさい」

「お金を大事に扱いなさい」

「世の中、お金じゃない」

と言い張っているエコノミーに限って、

「お金が大切」だと信じ込んでいるのです。

しかし残念ながら、

愛よりお金を優先するような人間に、

お金は入ってきません。

要するに、

エコノミーには愛もお金も無いのです。

なぜなら、

お金は愛があるところに集まるようにできているからです。

愛とは、人の間に通うものです。

そして、

お金は人間が運ぶものです。

愛の無い人間に、人は集まらないでしょう。

人が集まらない人間に、

お金が集まるはずもないのです。

エコノミーは、

そんな当たり前すぎることにも気づかず・・・

愛よりもお金を優先し、

その結果として、

愛とお金の両方が枯れ果てているのです。

お金さえあれば、

人生が豊かになると思っている時点で・・・

完全に負組なのです。

豊かどころか・・・

その心が既に貧しいのですから。

一方で、

成功者はお金よりも愛を優先します。

結果として、

愛が溢れる成功者に、人も溢れます。

当然、お金も溢れます。

貧富の差が極端に二極化してしまう理由の1つが、

それです。

愛よりお金が重要だと考えているエコノミーは、

結果として、

愛もお金も無くなります。

お金より愛が重要だと考えている成功者は、

結果として、

愛もお金も溢れます。

これほど単純なカラクリに、

なぜ、エコノミーは気づけないのでしょうか?

きっと、余裕がないのでしょう。

冷静さを、見失っているのです。

それと同時に、

大切なものを見失っているのです。

もっと言えば、

言葉の意味を取り違えているのです。

特に日本語は、

恐ろしいほどに繊細です。

あなたがもし、

言葉のニュアンスを僅かでも取り違えていれば、

言葉ひとつで、

あなたの人生は狂います。

エコノミーは、

信じられないほど多くの言葉を、

誤認したまま信じ込み、生きています。

いわば、

世間一般の常識というものに洗脳されているのです。

成功する覚悟があるのなら、

くだらない世間の常識は今すぐ捨て去ってください。

お金が重要だと思うのなら、

お金を大切にし、

お金を愛し、

くだらない人生を生きてください。

お金と、愛。

それは必要なのか、重要なのか?

真剣に考えてみてください。

それ以前に、

「必要」という言葉の意味と、

「重要」という言葉の意味を、

真剣に考え直してください。

あなたが必要だと考えているものは、

単に重要なだけかもしれませんし・・・

あなたが重要だと考えているものは、

単に必要なだけかもしれません・・・

必要なのか、重要なのか。

なくてはならないものなのか、かえがえのないものなのか。

99.9%のエコノミーは、

言葉の重みを甘くみているのです・・・

あなたの人生は、あなたの言葉です。

あなたの言葉が、

あなたの人生を定義しているのです。

お金というのは、

重要なものではありませんし、

大切なものでもありませんし、

かけがえのないものでもありません。

単に、

必要なものに過ぎないのです。

お金とは、必要なもの。

ただそれだけです。

それ以下でも、それ以上でもありません。

ただ、必要なだけです。

必要であって、重要ではないのです。

「必要」とは、なくてはならないものです。

なくてはならないのだから、

それが無ければ死ぬということです。

あなたはきっと、

100%の確率で、

過去にお金を遣った経験があるでしょう。

なぜなら、

お金は必要なものだからです。

一部の例外を除いて、

お金なしに、生きていくことはできないのです。

この星に生きている以上、

あなたはお金と関わり続けなければならないのです。

そうと知りながら・・・

エコノミーは、

「世の中お金じゃない」と言い訳しながら生きているのです。

あなたが想像している以上に、

世の中、お金ですよ。

ただ、

お金は必要なだけです。

お金以上に、

必要なもの、

欠かせないもの、

重要なもの、

かけがえのないものがあるでしょう。

それが、

愛です。

愛の無いところに、

成功は有り得ません。

愛は、

感謝を超えたところにあるものです。

あなたの目の前の、

ヒト・モノ・コトに対して、

とめどなく感謝が溢れてきたとき・・・

そのどうしようもない感情が、

愛に変わるのです。

言い換えれば、

感謝の無いところに、

成功は無いのです。

あなたは今、

目の前のヒト・モノ・コトに感謝していますか?

その感謝は、

愛と呼べるほどの感謝ですか?

エコノミーはよく、

子供を愛していると豪語していますが・・・

それ以前に、

子供に感謝できていますか?

エコノミーな親ほど、

育ててやってるんだから親に感謝しろと言います。

きっと、

育ててもらっているのは親のあなたです。

繰り返しますが、

感謝の無いところに、愛はありません。

愛のないところに、人は集まりません。

人が集まらないところに、お金は集まりません。

要するに、

感謝の無い人間には、お金も無いのです。

この力は、極めて正確です。

今あなたが置かれている経済状況が、

あなたがこれまで地球に与えてきた感謝の量です。

言い換えれば、

今あなたが置かれている経済状況が、

あなたが与えてきた愛の量です。

お金が足りていないと感じるのなら、

あなたに愛が足りていないということです。

目の前のヒト・モノ・コトに、

さらさら感謝していないのです。

目の前で起こっている些細な出来事の全てを、

「当たり前のこと」だと誤解し、

その「在り難さ」に気付けていないのです。

愛は、

与えられるものではなく、

先に与えるものです。

今あなたが、

お金が足りないと感じているのなら、

全てのヒト・モノ・コトに対して、

あなたから愛を与えてください。

成功する鍵は、

たったそれだけのことです。

お金は、

必要なだけであって、重要ではありません。

愛は、

重要なだけであって、必要ではありません。

必要とは、

なければならないということです。

愛が無くても、死にはしないでしょう。

現に、

愛のないエコノミーも平然と生きているのですから。

愛は、

必要ではないのです。

しかし、

愛は何よりも重要です。

逆に、

お金は必要なだけであって、重要ではありません。

しかし、

この経済社会において、

お金がなければ死ぬのです。

もう少し、

その先のことを言えば・・・

生きる上で、

愛は重要であって、必要ではありませんが、

成功する上で、

愛は必要です。

成功するために、

愛は、なくてはならないものです。

あなたに愛が無いのなら、

成功は諦めてください。

愛は、

重要であり、

必要です。

愛に溢れる世界か、

愛が枯れた世界か。

あなたが好きな世界を選んでください。

愛が溢れる世界を選ぶのなら、

全てに、

愛を与えてください。

その前に、

全てに、

感謝してください。

あなたの感謝の量が、

そっくりそのまま、

あなたが遣えるお金の量です。

そして、

あなたが、

どのようなお金の遣い方をするかによって・・・

お金の生死が分かれます。

お金を追い求め、

お金に生きるのではなく、

お金を生かすような、

そんな生き方をしてください。

あなたの遣い方によって、

お金は死に・・・

あなたの遣い方によって、

お金は生きるのです。

愛か、お金か。

あなたはこれから、

何を必要とし、

何を大切に生きていきますか?

お金が大切なら、

せっせと貯金し、

安心し、

平凡でつまらない人生を歩んでください。

愛が大切なら、

文字通り「すべて」に、

無条件の愛を与えてください。

その愛が、

あなたの人生を変え、

あなたの仲間を変え、

この地球を変えていくのです。

そして、

本当の「愉しみ」は、

そういう場所にしかないのです。

もう一度、

自分に問いかけてみてください。

愛か、お金か。

あなたは今、

どちらを優先するような人間ですか?

お金を追い求めているのなら、

あなたにお金は入ってきません。

お金を、

追わないことです。

99.9%のトレーダーはお金の奴隷と化している

相場に生きている人間は、例外なく貪欲です。

成功者もまた、例外なく貪欲です。

疑う余地もありません。

常に、欲望が渦巻いているのです。

あなたがトレードしている理由は、

あなたが貪欲だからでしょう。

私も間違いなく、貪欲です。

欲望。

野望。

金儲け。

マネーゲーム。

これらの言葉は、あなたの心にどう響きますか?

欲望や野望を剥き出しにして、マネーゲームに走る人間。

その人間とはまさに、トレーダーのことです。

残念ながら、

このように欲望を臭わせる響きは、世間から冷たい風を浴びます。

こと日本に関して言えば、

金儲けの欲望を曝け出した途端、非難中傷の的となるでしょう。

相場がマネーゲームとして敬遠されることが、

日本の国民性を物語っています。

「マネーゲーム」という言葉には、

「楽して儲けている」というニュアンスが含まれているのです。

わずか数分の操作で億を稼ぐトレーダーをみて、

「楽して儲けている」と妬むのは、

エコノミーの世界に生きている負け犬の遠吠えです。

どんな分野であろうと、

超一流は、至極困難な業を平然と涼しい顔でやってのけるものです。

素人の目には、

それがまるで「簡単にやっている」ように映っているのでしょう。

あいつは、簡単に稼いでいる。

あいつは、楽して儲けている。

その罵倒の背景には、

「自分はこんなに苦労して働いているのに・・・」

「あのトレーダーは働きもせず苦労もせずに稼いでいる・・・」

そんな妬みや僻みが充満しているのです。

淡々と稼ぎ続けるトレーダーが、

そのレベルに到達するまでに重ねてきた「努力」を知らないのです。

果たして相場とは、楽して稼げるマネーゲームか?

とんでもない・・・

努力して、

努力して、

努力して、

努力を重ねた末に、

その努力を裏切られるのが相場でしょう。

相場は、

この世で最も過酷な真剣勝負なのです。

肉体労働で身体に流れる汗だけが、汗ではありません。

超一流のトレーダーは、

頭の中で汗をかいているのです。

この汗は、決して目には見えません。

だからこそ、

さも「涼しい顔」で勝ち続けているように見えてしまうのでしょう。

ところでなぜ日本では、

「私は相場をやっている」と自ら話す人が少ないのでしょうか?

その言葉の背景に、

「金儲け」という言葉が見え隠れするからです。

金儲けは不徳であり、汚らわしい。

そんな印象しか与えないのです。

そして日本では、

「欲を絶つこと」を「美徳」とする風潮さえ漂っています。

欲を絶てなかったとしても、

それを表に出さないことが美徳とされているのです。

欲望、野望は汚らわしいのでしょうか?

人間は本来、欲望のある生き物です。

欲望の塊と言ってもいいでしょう。

本来持ち合わせている感情を、なぜ抑え込む必要があるのですか?

自分という存在を押し殺しているのと同じです。

正しい欲望や野望は本来、美しいのです。

美しいものを、包み隠す必要はないでしょう。

食欲、性欲、睡眠欲という言葉があって、

なぜ、金欲という言葉が使われないのでしょうか?

「きんよく」と入力すると、

「金欲」ではなく「禁欲」と変換されます。

金欲という言葉は、

変換候補にすら上がってこないのです。

欲を出すどころか、欲を禁じようとしている。

これが、世間の洗脳です。

あなたの心は、

「金欲」と「禁欲」のどちらで満たされていますか?

「金欲」を押さえ込んでいるとすれば、今すぐ解放してください。

その欲望が正しい欲望であれば、それは美しいのです。

あなたは、

一体何のためにトレードしているのですか?

こう尋ねると、

皆口を揃えて「お金を稼ぐため」と答えます。

そんなことは、分かり切っています。

それでは、

一体何のために、お金を稼ぐのですか?

こんな聞き方をすると、こういう答えが返ってきます。

「早く会社を辞めて自由になりたいから」

「お金と時間を手にしたいから」

「今よりお金があればもっと幸せになれるから」

「優雅で贅沢な暮らしを満喫したいから」

あなたがもし、

こんな考えでトレードしているとすれば、

まず間違いなく、成功しません。

自由なお金と時間を得ることによって、

人生が幸せになるとでも思っているのですか?

だとすれば、あなたはお金の奴隷です。

「お金さえあれば幸せになれる」と思っている時点で、

既に不幸なのです。

そんな思考でお金を手にしたところで、

決して「幸せ」にはなれないでしょう。

そんな「幸せ」など、もともと存在しないのですから・・・

お金さえあれば幸せになれるから、お金が欲しい。

そんなくだらない金欲には、美しさのカケラもありません。

お金の多寡が価値観の基準となってしまっている時点で、

既に汚らわしいのです。

あえて書く必要もありませんが、

今この瞬間が幸せだと気付ければ、今この瞬間から幸せでしょう。

あなたは1秒で幸せを掴めるのです。

この広い宇宙で地球という星に生まれ、

この日本に生まれ、

太陽の温もりを感じ、

鳥のさえずりが聴こえ、

水と空気に満たされて、

風を感じ、

雨を感じ、

大地を感じ・・・

そして夜空を見上げれば、星空が広がっている。

どう考えても、幸せすぎるのです・・・

美しい欲望は、同時に野望へとつながるものです。

なぜ、トレードするのか?

「お金と時間を手にしたいから」という答えには、

なんの野望も感じ取れません。

では、

トレードする本当の目的は何か?

この答を深く追い求めていけば、

同じ疑問にぶつかるでしょう・・・

なぜ、

この世に生まれてきたのか?

お金と時間を手にするために、

この世に生まれてきたのではないでしょう。

ほかの誰かを、幸せにするため。

目の前にいる人を、幸せにするため。

そして、

何かを成し遂げるために生まれてきたのです。

何かを成し遂げたいという欲望こそ、野望です。

その野望は、

「夢」と言い換えてもいいかもしれません。

野望とは、

「身の程を超えた、大きな望み」のことをいい、

そこには「分不相応」という意味が込められています。

「分不相応」な望みこそ、「夢」でしょう。

「分相応」な望みほどつまらない「夢」はありません。

そもそも・・・

分相応の望みなど「夢」とは言えないのです。

「分相応」ならば、

別にあなたが変わらなくとも、

今のあなたでも実現できてしまうということです・・・

自分を変えずして、成功など有り得ないのです。

今のあなたに、野望(夢)はありますか?

正しい野望を伴う欲望は、美しいものです。

何のために、トレードするのか?

お金を稼ぐため。

何のために、お金を稼ぐのか?

野望を実現するため。

何のために、野望を実現するのか?

それは、命の喜びのためです。

魂の声に耳を傾ければ、

「禁欲」という言葉など必要ないのです。

美しい野望を伴わず、

くだらない欲望だけで動いているトレーダーは必ず負けます。

その一方で、

欲望の先に大きな野望を見据えているトレーダーは、

勝つべくして勝つでしょう。

このブログは、

トレードで成功する覚悟を決めたあなたの為だけに書いています。

「トレードで成功する覚悟」とは、

「トレードで勝ち続ける覚悟」ではありません。

お金儲けの先に、大きな野望を秘めているあなた。

美しい欲望を抱いているあなたの為に、このブログを書いています。

運用資金が数億に達したトレーダーに、

「次の目標は何ですか?」と尋ねると、

決まって同じ答えが返ってきます。

「次は100億を目指したいです。」

そして、いざ100億達成が目前に迫ってくると、

「次は1000億を目指したいです。」と答えます。

残念なことに、「お金を儲けること」それ自体が、

トレードする目的になってしまっているのです。

本当の目的を見失い、

お金を手にすることが「生きる目的」となっている・・・

そこに、美しさはありません。

あるいは、こんなことを言う人もいます。

「相場を引退したら、何をやりたいですか?」という問いに対して、

「相場で蓄えた資金で不動産を購入して運用していきたいです。」と答える。

不動産も、相場でしょう。

やっていることは、トレードと何ら変わらないのです。

結局、お金を儲けることだけが目的となってしまっているのです。

あなたにとって、そんなトレーダーが理想ですか?

違うでしょう。

何のために生き、

何のためにトレードしているのですか?

あなたのその欲望の先に、美しい野望はありますか?

私はトレーダーでありながら、

トレードに生きている訳ではありません。

トレードで勝ち続けることは当然の義務であり、

トレードは単に「お金儲け」の1ツールに過ぎないのです。

そして、

正しい欲に突き動かされたお金儲けは、美しい。

そう確信しています。

トレードで勝ち続けて莫大な利益を得たところで、

トレードに生きることが目的になっているのであれば、

それは完全な負組です。

あなたは今、

一体何のために、トレードしているのですか?

声を大にして、

「お金が好きです」と、周りに宣言できますか?

それができないのなら、

あなたがエコノミーの世界で生きているということです。

その世界から抜け出す覚悟を決めているのなら、

声に出して、周りに宣言してみてください。

お金が大好きです!!!と。

私は、

それを言えるあなたのことが大好きです。

中立に踊らされる負組トレーダーたち

二階の書斎からの眺めです。

来る日も来る日も、

さも当然のように、太陽が昇っています。

なぜ、

これほどに神々しいのでしょうか・・・

その昇る姿を見つめていると、

「無音」という音が聴こえてきます。

静寂に包まれ、宇宙とつながるのです。

想像を遥かに超えている宇宙に愕然とすると同時に、

自分自身もまた宇宙の一部であることに気付かされます。

自分と宇宙がひとつになった瞬間、

世界から音が消え去り、

優しさに満ち溢れた静寂に包まれるのです。

太陽が姿を現した次の瞬間、

太陽の熱を温もりとして肌身に感じます。

9兆km離れた彼方で放たれたエネルギーが

8分間の時を経て地球に到達し、

自分の体温として取り込まれているという事実に、言葉を失うのです・・・

そして、太陽は常に中立です。

ただただ、

絶対的な中立として存在しています。

こうした絶対的中立の存在によって、

必ず陰と陽の二面性が姿を現します。

太陽に例えれば、光は陽、影は陰です。

両者は単独で存在することはできません。

光があるから影ができ、

闇があるから光の存在に気付けるのです。

果たして、

真昼の空に散らばっている無数の星々を、

何%の人が意識しているでしょうか?

光と闇、両者は常に2つで1つ、決して切り離すことはできません。

生があるから死があるのと同じことです。

ところが人間は、

こうした絶対的中立に対して自分の感情を持ち込み、

歪んだ解釈を始めます。

雪国にいれば太陽が愛しく、砂漠にいれば太陽を憎みます。

太陽には善意も無ければ悪意もありません。

本来、善悪を持たないはずの中立に対して、

人間の自分勝手な解釈が善悪を与えているに過ぎないのです。

日の出を見つめながら、

相場もこの太陽と同じであることに気付かされます。

相場もまた、絶対的に中立です。

相場は敵でもなければ、味方でもないのです。

逆に言えば、トレーダー自身の解釈次第で、

相場は敵にもなり、味方にもなるということです。

私の場合、

相場に対して敵味方という考え自体持ち込んでいません。

中立的存在として利益を与えてくれる以上、

相場という存在に対する「感謝」があるだけです。

あなたは、

相場に対してどのような解釈を与えていますか?

あなたのロングポジションは、あなたの勝手であり、

あなたのショートポジションもまた、あなたの勝手です。

相場からみて、

あなたのポジションなど、どうでもいいのです。

相場を敵として認識し始めたとき、トレードが苦しくなるでしょう。

確かに、他のトレーダーと利益を奪い合っているのは事実です。

このとき、敵はあくまで自分以外のトレーダーであって、

相場が敵なのではありません。

相場は単に、人間という生き物です。

相場には悪意もなければ、善意もありません。

連勝があれば、同様に連敗もあります。

絶不調を決して避けれないように、

絶好調も決して避けることができないのです。

そうして相場を俯瞰できるようになったとき、

あなたの道は自然と示されます。

その道とは、

連勝も連敗も、全ての事象を等しく受け入れて、

感情を捨て、確率論的に相場と向き合うということです。

その次の段階で、

実は感情を捨てる努力すら必要ないということに気付かされるでしょう。

なぜなら、

トレードをする前から、最終的に勝てることが分かり切っているからです。

最初から、勝負がついている勝負。

退屈で、退屈で、退屈で・・・

どうしようもないのです。

鼻から結果がみえているゲームは、

つまらないでしょう?

何の興奮も味わえないマネーゲーム。

それが、

本当の投資というものです。

最初から結果が分かり切っているトレードを仕掛けるとき、

そこには何の感情も伴いません。

感情がない以上、

感情を捨てることすらできないのです。

相場に陰と陽があるとすれば、

9割の敗者が陰であり、1割の勝者が陽でしょうか。

実際には、上位10%の内、

微々たる利益しか出せていないトレーダーも多数含まれます。

上位10%に入れたところで、大した利益にはなりません。

その程度なら、やらないほうがマシです。

上位10%に入れて喜んでいるトレーダーのことを、負組というのです。

相場に挑む覚悟があるのなら、

少なくとも上位0.1%に入る覚悟を決めて、臨んでください。

念のため言っておきますが、

あなたがどれだけ優秀で、どれだけ努力家であろうと、

あなたは99.9%の確率で、この次元には到達できません。

自分の魂と対話し、

ある一線を超えない限り、気づけない領域があるのです・・・

この意味さえも、解る人にしか解らないでしょう。

もはや、

書く意味がないことさえ分かっていながら、

書き続けるしかないのです・・・

0.1%の光が、あなたを照らしますように。

99.9%のトレーダーが勝てない本当の理由

勝っているのか、負けているのか。

そのトレーダーの部屋を見れば、その答えは一瞬で分かります。

あなたが負けているとすれば、

あなたの机の下には髪の毛が落ちているでしょう。

ただ、それだけのことです。

もう少し分かり易く言えば、

あなたの引出しが散らかっているのかもしれませんし、

あなたの押入れは不要な物で溢れているのかもしれません。

あるいは、

テレビの裏やベッドの下、

カーテンレールの上を指でなぞると、埃が付くかもしれません。

ひょっとすると、

PCのデスクトップは使いもしないファイルで埋め尽くされ、

スマホの待受けは使いもしないアイコンで埋め尽くされているかもしれません。

あなたに思い当たる部分はありませんか?

じっくり、部屋中を見回してください。

特に、目に見えない部分にまで目を向けてみてください。

負けているトレーダーは、トレード環境が散らかっていて、

整理整頓されておらず、不潔そのもの。

このことこそ、

多くのトレーダーが勝てない本当の理由です。

お金は、不潔な場所を嫌います。

不潔な人、不潔な場所を避けるように、お金は流れているのです。

なぜ、環境が散らかっていると勝てないのか?

あなたのトレード環境は、

あなたの「心そのもの」を映し出しているからです。

あなたの思考がそのまま、

あなたの机の引出しに表れているのです。

あなたの心が乱れているとき、あなたの部屋も乱れています。

「部屋の乱れ」は、

そのまま「生活の乱れ」に直結します。

「生活の乱れ」は、

そのまま「トレード結果の乱れ」となって現れます。

エコノミーは、

私生活がトレード結果に影響を及ぼすはずがないと考えているでしょうが・・・

恐ろしいほどに影響を与え合うのが、現実です。

私の机には埃ひとつありません。

もちろん、

部屋中の床を見渡しても髪の毛1本すら落ちていません。

決して、潔癖ではありませんし、神経質な訳でもありません。

トレードで勝つためには、

一点の曇りも許されないという、ただそれだけの理由です。

なぜ、乱れた心では勝てないのか?

相場の最大の敵は、自分の心だからです。

相場で勝つためには、

複雑・高度な思考は不要であり、邪魔にしかなりません。

必要なのは、シンプルさであり、心の透明さです。

透明な心、透明な環境が整って初めて、

正しいトレード戦略を思考できるのです。

繰り返しますが、

あなたの身の回りに積もっている埃は、あなたの心に積もっている埃です。

一点の曇りもない、完璧な環境を整えて、

いつもの椅子に腰掛けて、「思考」してみてください。

これまでと比較にならない、思考のクリアさに驚くはずです。

それと同時に、

それまでの思考が如何に曇っていたのかを知り、愕然とするはずです。

こんな些細なことが、勝組と負組を隔てているのです。

中には、

ほどほどに清潔な環境で勝てているトレーダーもいるでしょう。

しかし彼らは、そこそこ止まりです。

その環境に見合う、ほどほどの利益しか得られません。

本当の意味で成功したい方は、まず透明な環境を整えてください。

あなたの心に埃が積もっているとすれば、

相場のスタートラインにすら立てていないことになります。

心が乱れているトレーダーは、

ちょっとした連敗で動揺し、心に大きな荒波が立ちます。

心の水面がまるで鏡のように静止しているトレーダーは、

連敗に遭遇したところで波ひとつ立ちません。

心は常に穏やかで、一切の邪念もなく澄み切っているのです。

「明鏡止水」

この言葉はまさに、

勝組トレーダーが辿り着く境地を物語っているのです。

ホテルにしろ、レストランにしろ、ブティックにしろ、

見える場所に埃が積もっているのは三流です。

見える場所に全く埃がないのは、一流です。

しかし多くの場合、

目の届かない場所に埃が積もっているのです。

目の届かない場所にすら全く埃がないのが、超一流です。

この埃の有無は、スタッフの心そのものです。

その心がサービスという形となって、如実に映し出されるのです。

レストランであれば、埃が積もった瞬間に味は落ちるでしょう。

埃のかぶったエルメスなど誰も見向きもしませんし、

ベントレーのダッシュボードに埃が落ちていることは許されないのです。

これはサービスに限った問題ではありません。

あなたの身の回りの環境が、

そのままトレード結果に映し出されているのです。

「埃がないこと」を「誇り」にした瞬間。

その瞬間から、

あなたの人生に間違いなく変化が訪れます。

埃を一瞬も許さないことが、成功への近道。

このことが真実だと分かっていたとしても、

あなたはきっと・・・

99.9%の確率で、

これを淡々と継続し、実行することができないでしょう。

しばらく実践できたところで・・・

5年後のあなたの部屋には、

また同じように、埃が積もっているのです。

身の周りの掃除。

簡単なことを、

当たり前のように継続することの、

難しさを知らない。

これこそ、

成功者が0.1%にも満たない本当の理由です。

あなたは、

続ける自信がありますか?

「成功するために」 掃除しているようでは、

あなたは永遠に成功しません。

掃除とは、

そんな心で行うものではないのです。

掃除をしながら、

自分と対話し、

自分と正面から向き合える人間だけが、

淡々と、

愚直に、

継続できるのです。

なぜなら、

「成功するために」 やっていないからです。

勝組の財布、負組の財布

世の中には、2種類の人がいます。

勝つ財布を使っている人と、

負ける財布を使っている人です。

日本人は特に、財布を重んじる傾向にあります。

成功者だろうと、エコノミーだろうと、

財布に気を遣っています。

その辺の高校生も、

その辺のチンピラ兄ちゃん姉ちゃんも、

その辺のサラリーマンも、

お決まりのようにブランド財布を持ち歩いています。

「ブランド」という言葉の意味を完璧に誤解しているのです。

超一流の「ブランド」を正しく扱うことは、

そんな生易しいものではありません。

99.9%の確率で、

ブランドが似合っていないのです。

ブランド財布を持ち歩いて、

それでお金が入ってくればいいですね。

しかし残念ながら、

根本的に思考がズレているので・・・

そんな財布にお金が入ってくるはずもありません。

成功しない人間の財布は、

なぜかパンパンに膨れ上がっています。

それはきっと、

紙幣で膨れているのではないでしょう。

無駄なもの。

余計なもので、膨れ上がっているのです。

その原因が、

レシートであったり、

ポイントカードであったり、

キャッシュカードであったり、

クレジットカードであったり、

小銭であったりする訳です。

使いもしないレシート・・・

財布がゴミ溜めと化しているのです。

レシートをきっちり残して管理している人もいますが、

それは家計簿をつけるためでしょう。

家計簿をつけることに労力を費やして、

何か得しますか?

家計簿をつけて判明するのは、

あなたの支出状況です。

何に、いくらのお金を遣い、

どこに無駄な支出が潜んでいるのか?

家計簿をつけることで生まれるのは、

節約思考です。

無駄を切り詰めて、支出を減らす思考。

そんな節約思考を潜在意識に植えつけたところで、

あなたは損するだけです。

1円も得しません。

収入と支出の両方を加速させ、

よく稼ぎ、

よく遣い、

お金をしっかり流さなければならないのです。

無駄を削り落とす節約思考こそ、

無駄ということです。

無駄を削ることを考える前に、

お金の遣い方を考えてください。

それにお金を払うことによって、

成長できるか否か。

美しいか否か。

他の誰かが幸せになれるか否か。

核はそれだけで十分です。

成功する覚悟を決めたあなたの財布に、

レシートは不要なのです。

しかしあなたの財布には、

ポイントカードが何枚も入っているかもしれません。

カード1枚の重さは3グラム程度でしょうか?

ポイントカードを提示して、

スタンプを押してもらう一連の動作の中で、

あなたは一体何秒の命を削っているのでしょうか?

毎日のように3グラムを何枚も持ち歩き、

何度も何度も繰り返し数秒を失い続け・・・

結果として、

あなたはいくら得しますか?

ポイントが貯まって値引きされる額は、

数百円とか、せいぜい数千円の世界でしょう。

僅かそれだけの「お得感」のために、

3グラムという荷物を背負い続け、

財布を膨らませ続ける必要がありますか?

そもそも、

成功するあなたは、そんな器ではないはずです。

成功する覚悟を決めたあなたの財布に、

どう考えてもポイントカードは不要です。

エコノミーの財布にはポイントカードが入りすぎているせいか、

自分の財布を漁り回し、

レジの前でポイントカードを探すことに必死になっている姿を目にします。

くだらないことに、命を使っているのです。

エコノミーにとっては、

命よりも・・・

ポイントが貯まる「お得感」のほうが大切なのでしょう。

あなたの財布にポイントカードが入っているのなら、

それらは今すぐ全て捨ててください。

捨てれないなら、

成功は諦めてください。

レシートとポイントカードが無くなり、

だいぶ軽くなったあなたの財布ですが、

まだまだ・・・

キャッシュカードやクレジットカードが何枚も入っているかもしれません。

あなたはその日、

何%の確率でクレジットカードを使うのですか?

あるいは、

1日に2枚も3枚も使う日がありますか?

クレジットカードを5枚入れている人は、

1日に5枚のカードを使うのですか?

ありえないでしょう。

完全に無駄な荷物を背負っているのです。

そして何より、

使いもしないカードを意味もなく持ち歩くことはリスキーです。

最近の技術では、

ターゲットから数十メートル離れた場所からでも、

カード内の電磁気情報を盗み出すことができます。

あなたが知らない間に、

あなたのカードが利用される可能性は十分に想定されるのです。

私の財布には、

キャッシュカードやクレジットカードが1枚も入っていません。

どうしても必要なときだけ、

1枚ないしは最大でも2枚のカードを、

その日限り持ち歩く程度です。

そもそも私は、基本的にカードを使いません。

どれだけ高額だろうと、現金で払います。

なぜなら、

カードは電子の世界であって、実態がないからです。

どれほどのお金のボリュームを、

どういうことに遣っているのかが、見えてこないのです。

それを肌身で感じるためにも、

お金の重み、お金の厚みを感覚として体感することが大切です。

1000万の買い物をするのなら、

100万を10束用意して払ってくださいということです。

特にトレーダーは、

運用額がある程度のラインに達したときから、

お金が単なる「数字」にしか見えなくなります。

損益も、

運用残高も、

お金ではなく、数字なのです。

そうなってくると、

いよいよ電子の世界へ突入します。

実態としての感覚を失うのです。

感覚を失わない為にも、

お金は電子的に遣わないことです。

現金で支払い、

お金に感謝を告げて別れてください。

電子マネーには挨拶もできないのです。

成功するあなたの財布には、

キャッシュカードもクレジットカードも不要になります。

カードを利用する日に限り、

1枚ないし2枚を携えれば事足りるのです。

負組の行動パターンには、

とにかく「〇〇ぱなし」が根付いています。

スマホの充電器をコンセントに挿しっぱなしにしているエコノミーは、

クレジットカードも財布に入れっぱなしなのです。

レシート、

ポイントカード、

キャッシュカード、

クレジットカード・・・

これであなたの財布もだいぶ軽くなりましたが、

下手をすると小銭だけでパンパンに膨れています。

理由は簡単です。

小銭を出さないから小銭が溜まるのです。

貯まるのではなく、溜まっているのです。

たとえば562円の買い物をしたとき。

千円札1枚と、12円があるのに12円を出さないのです。

結果として、438円のお釣りが戻ってきます。

1012円を支払うと、450円のお釣りが戻ってきます。

438円と450円とでは、450円のほうが身軽です。

38円(10円硬貨3枚+5円硬貨1枚+1円硬貨3枚)と50円(50円硬貨1枚)では、

どう考えても50円のほうが軽いのです。

そんな動作が数回繰り返されると、

財布は一瞬にして小銭だけで膨れ上がります。

エコノミーは、小銭を出す手間を惜しみます。

いちいち小銭を探しているのが面倒なのでしょう。

もっと底辺のエコノミーは、

1万円札1枚で支払うことが格好良いものだと勘違いしています。

万札をポンと投げ捨てて、誇らしげに支払っているのです。

当然、多くの千円札と小銭が戻ってきます。

彼らにとっては、

小銭をちまちまと探している仕草がダサいのでしょう。

レジでの支払い方をみていれば、

成功する人間か否かは一瞬で判ってしまうのです。

そうやって小銭を「ぞんざい」に扱うエコノミーは、

小銭からも嫌われる存在になります。

1円玉は末っ子です。

5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉は、

1円玉の兄さん姉さんです。

1円玉を泣かせると、兄さん姉さんからも嫌われるのです。

そのことを知ると、

彼らの親である千円札や5千円札が怒ります。

当然、祖父の1万円札もあなたに憤慨し、

あなたの元から去っていくでしょう。

1円を雑に扱うと、

結果的に万札が離れていくのです。

逆に、

1円玉から好かれると、

万札も喜んであなたのもとに集まります。

小銭入れに1円玉が入っているのなら、

1円単位までキッチリ支払う。

小銭をちまちまと探している姿が、美しいのです。

この習慣が身に付くと、

あなたの財布が小銭で膨れ上がることは有り得なくなります。

レシート、

ポイントカード、

キャッシュカード、

クレジットカード、

小銭・・・

これら全てが削ぎ落とされたとき。

あなたの財布に残るのは、

いよいよ紙幣のみとなります。

紙幣だけは、十分に入れてください。

無駄なほど、入れておいてください。

使う予定が無くても、入れておいてください。

最低でも50万、できれば100万以上は常に入れておきましょう。

紙幣だけで、

あなたの財布を膨らませてください。

財布がパンパンに膨れ上がっているエコノミーほど、

紙幣は数えるほどしか入っていません。

そもそもお金が無いのでしょうが・・・

彼らの言い訳はこうです。

持ち歩いていると、

ついつい遣い過ぎてしまうから。

財布を失くしたとき、危ないから。

くだらないことに遣い過ぎてしまうのは、

遣い方のモノサシがないからです。

財布を失くすのは、

財布に愛が無いだけのことです。

クレジットカードを落とすことのほうが、

何倍も危険でしょう。

典型的なサラリーマンは、

その日に遣う分だけの現金を財布に入れて持ち歩いています。

その貧しさは、顔に浮き出てきます。

「自分が遣えるお金は限られている」と、

常に自分で自分を洗脳しているのです。

そうやって自分を縛り付けているのなら、

あなたはいつまで経ってもエコノミーの世界から抜け出せません。

無駄なほど紙幣を入れて持ち歩いてみてください。

財布が閉まらないほど、

紙幣だけでパンパンに膨らませてみてください。

普段と、真逆のことをやってみる。

全て、それが鍵です。

エコノミーの非常識は、成功者の常識なのです。

溢れんばかりの紙幣を携え、

「自分には十分なお金がある」のだと洗脳してください。

そこで初めて、

見えてくるものがあるでしょう。

エコノミーは、

消費欲を満たすために最低でも10年は掛かります。

エコノミーが大金を手にしたところで、

くだらない浪費に走るのがオチなのです。

それは、

本当の意味での「お金持ち」とは言いません。

どれだけ大金を手にしたところで、

お金持ちになれないところが、まさにエコノミーなのです。

あなたがもし、

そこで浪費に走ってしまえば、それがあなたの器です。

本物のヒト・モノ・コトを正しく見極め、

自分の成長に繋がるものに美しく遣ってください。

その遣い方が正しければ、

やがて何倍にもなって、あなたの財布に戻ってくるのですから。

お金を支払い、お金に別れを告げるとき。

お金の声に耳を傾けてみてください。

このお金達は今、

また自分の財布に戻ってきたいと思ってくれているか?

その答えは、

あなたが1番よく分かっているはずです。

再会を楽しみに、

気持ちよく、

笑顔で別れを告げられるかどうかです。

お金達にとって、

あなたの財布が心地よかったかどうかです。

財布は、お金の住まいです。

余計なもので膨れ上がっている財布は、

窮屈で苦しくて仕方がないのです。

そんな場所は1日でも早く出て行きたいでしょう。

身体を2つ折りにされるのも息が詰まります。

長財布で伸び伸びとしていたいのです。

あなたがどう思うかではなく、

お金がどう思うかです。

そもそも、

2つ折り財布には紙幣が入りません。

10万は折れても、100万は折れないのです。

折れたとしても、財布が勝手に開きます。

エコノミーのお店では、

おしりのポケットに入れられた財布が、

まるで座布団のように彼らの尻に敷かれています。

パンパンに膨れ上がり、

ボロボロに擦り切れたブランド財布が、

体重に押し潰されて悲鳴を上げているのです。

財布をポケットに入れて持ち歩く姿は、

全く美しくありません。

お尻がポコッと膨らんでいるだけで、

ファッションの全てが失われます。

ジャケットの内ポケットも例外ではありません。

最近では極薄の財布も流行っているようですが・・・

本物のジャケットは、

どれだけ薄い財布だろうとスマホだろうと、

ポケットに入れることはできないのです。

もちろん、

入れようと思えば押し込めますが、

シルエットが崩れるのです。

この感覚がないのなら、

偽物の服ばかり着ているということか、

ファッションに全く興味がないということです。

超一流のブランド財布がボロボロになるのは、

その財布に耐久性がないからではありません。

あなたが超一流ではないというだけのことです。

あなたの些細な所作の中に繊細さが無いので、

気が付けば財布が傷を負っているのです。

本物のブランド品が何十年も耐えるのは、

本物の人間が持った場合の話です。

超一流の財布を持つからには、

あなたが超一流になる覚悟を決めてください。

エルメスの革財布も極上ですが、

私が特に気に入っているのは、『カミーユ・フォルネ』の作品です。

カミーユ・フォルネはもともと、

腕時計の革ベルトを製作するメーカーとして、

1945年に創設されたブランドです。

特にエキゾチックレザーを中心に、

仕上がりの完璧さに徹底的に拘り抜いたクオリティーが認められ、

パテック・フィリップ、ジャガー・ルクルト、IWC、カルティエなど、

数々の時計メーカーから信頼を得ているベルト界のリーダーです。

皮革を扱う技術は、

疑いようもなく超一流です。

このカミーユ・フォルネが展開している革財布もまた、極上です。

初めて彼の作品に出逢ったとき、

頭をガツンと叩かれたような衝撃が走りました。

あぁ、これが本物の革か・・・

そう思ったのです。

あなたも是非、

彼の作品に触れてみてください。

本物の革とは、どういうことか。

その意味を肌で理解してください。

素敵な財布を選ぶポイントは、

できるだけ美しく華やかなものを選ぶことです。

彼の作品であればどれを選んでも間違いありませんが・・・

その中でも、

できるだけ、

今のあなたに似合わないほど華やかなものを選んでみてください。

こちらはリザードのオレンジ。

最高に美しく鮮やかな発色です。

リザードの長財布は最もおすすめしたい作品です。

ぜひ一度、あなたの手で直に触れて、その肌触りを確かめてみてください。

きっと、思わず声が漏れるでしょう。

そしてこちらは、ヴォーグレネドーファンのマリーン。

内側には、

同じくマリーンカラーのアリゲータをさりげなく配しています。

心憎いほどの洗練を感じます。

そしてこちらは、ヴォーグレネドーファンのブラック。

こちらはレッドのアリゲータをアクセントに添えています。

華やかさとは、派手さではありません。

紺や黒のように地味なカラーであっても、

洗練が行き届けばそこに「品」が宿り、十分に華やかなのです。

偽物を何度も買い換えるぐらいなら、

覚悟を決めて本物と付き合ってみてください。

安物を選ぶことで、あなたは損するのですから。

本物と付き合い、

あなたが本物になってください。

あなたの収入が、

あなたの財布を決めるのではありません。

あなたの財布の姿が、

あなたの収入を決めるのです。

もっと言えば・・・

あなたの財布が、

あなたの未来を決めているのです。

紙幣を並べるのは最低限のことです。

順番に、きちんと揃えてください。

お金が気持ちよければ、あなたも気持ちいいのです。

お金が出て行きにくくなるからといって、

紙幣を逆さまにして入れる人がいますが・・・

そんなことをすると、逆効果であり、論外です。

本当の豊かさとは、

お金をしっかい遣い、

お金を出していくことですから。

お金を出すことを拒む人間は、

永遠に豊かにはなれないのです。

十分な紙幣を入れたなら、

紙幣を数えるのはやめましょう。

エコノミーはいつも紙幣を数えて残額を気にしています。

紙幣の枚数を数えることが、癖になっているのです。

財布に残り何枚の紙幣が入っているか?

そんなことで頭の中が埋め尽くされているのです。

紙幣は、数えないことです。

十分に入れておけば、側面が見えるでしょう。

数えて管理するのではなく、

厚みで管理してください。

今日の外出はこれぐらいの厚みがあれば十分だとか、

ちょっと薄くなってきたとか・・・そんな感覚です。

いちいち、数えないのです。

トレードも同じことでしょう。

必勝システムを走らせているトレーダーは、

毎月の損益などいちいち気にしていないのです。

財布は、

通しマチがついたものを選びましょう。

マチがない財布を使っているということは、

大金を受け入れる準備ができていないということです。

自分に、マチは必要ない。

無意識のうちに、

そういう貧しい心を植え付けているのです。

財布に十分過ぎる紙幣を入れておくと、

あなたに運が巡るようになります。

この理由を言葉で説明することもできますが、

あえて、説明はしません。

あなたの体感として、実際に感じ取ってみてください。

もちろん、私は風水などに全く興味がありません。

持ち歩く紙幣の量によって運の量が変化するのは、

私の実体感として確信している事実です。

あなたの財布は今、どんな状況ですか?

あなたの財布が、

あなたの未来です。

そして、

お金は大切なものではありません。

お金は単に、必要なだけです。

重要でも何でもないのです。

大切なのは、

お金ではなく・・・

必要なお金との接し方です。

その心、

その向き合い方こそ、

大切なのです。

極限の集中状態が人を無心にする

Center of Gravity.

単に「重心」と訳してしまえば、それで終わりですが・・・

この言葉には、それ以上の何かを感じます。

重力は引力によるものであり、

その引力は、地球の質量が発生させているものです。

決して目には見えませんが・・・

確実に実在している絶対的な力です。

重力の中心。

地球の中心を身体で感じ取ることは、

地球とひとつになるということであり、

宇宙とつながるということではないでしょうか。

Center of Gravityには、そういった深みを感じます。

相場を支配しているのも、重心です。

売りと買いの重心がバランスするラインによって、

相場が形成されているのです。

エコノミーは、

目に見えるものだけに囚われています。

しかし・・・

この宇宙を支配しているものは、

目に見えない力です。

引力、

波動、

オーラ、

磁力、

想像力、

確率、

運・・・

数え上げればキリがありません。

私は、

こういった目に見えない力だけを見ています。

目に見えるものには、

全く興味がありません。

力関係の次元が違うからです。

釣り合っているとき「バランスを保っている」といいます。

バランスを保っている状態を、単に「バランスしている」ともいいます。

このバランスした石を、

じっくり時間をかけて、眺めてみてください。

この光景に、あなたは「何」を思いましたか?

あるいは、何をイメージしましたか?

おそらく多くの人が、

「崩れる姿」をイメージしたはずです。

なぜなら、

「今にも崩れそう」という不安を与えるほどの「繊細さ」を秘めているからです。

世の中の物事は全て、バランスで成り立っています。

バランスしないものは、存在できません。

バランスすることで、存在しているのです。

金融市場、世界情勢、自然界、全てがバランスの上に成り立っています。

通貨、株、商品、サービスに値段が付くのは何故でしょうか?

需要と供給がバランスするからです。

両者の数量が一致したときに初めて、値段が付くのです。

そしてバランスとは「静止」を意味します。

バランスした瞬間、全てのものごとは「静止」します。

もっと正確に言えば、

「静止」ではなく「動きながら止まっている」状態です。

「動くこと」と「止まること」が同時に存在することは矛盾します。

しかし世の中の原動力は、全て矛盾です。

世の中をじっくり見渡してみてください。

「動いているのに止まっている」ものに溢れているはずです。

例えば「明鏡止水」と言われる境地。

心が澄み切り、その水面が鏡のように静止している状態をいいます。

ここでいう「止水」とは、

静止しているかのようで、実際には動いています。

湖の水面は止まっているかのようで、水は常に動いているのです。

水は固まると氷になります。

氷も「静止」しているように見えて、

実際には分子レベルで動いているのです。

温度が上がり分子の動きが活発化すれば、氷は解けて再び水へ戻ります。

マクロでもミクロでも、同じこと。

全てのものごとは、

バランスしなければ存在できないのです。

南極の氷床は1年で10cmずつ分厚くなります。

そして、その氷床の厚さは2000メートル。

およそ2万年の歳月をかけて形成されたことになります。

こうした氷床も今、温暖化によって徐々に削られているようです。

世間では温暖化を騒いでいるようですが、それは単なる人間の過信でしょう。

自然の力を前に、人間の叡智など無力に等しいのです。

地球の行く末を人類に心配されずとも、

地球は今後50億年、存在し続けます。

地球という星は、1つの生命です。

温暖化で数℃上昇したところで、

地球が風邪をひいて微熱を出している程度の話です。

氷床が崩壊し、南極の面積が減少したところで、

氷河期が訪れれば再び氷床は拡大するでしょう。

騒いでいるのは、人間だけ。

地球にとっては、何も問題ではないのです。

氷床が崩れることで、地球のバランスが崩壊しているのではありません。

氷床を解かすことで、地球がバランスしているのです。

人間も運動すれば体温が上がり、汗をかきます。

汗によって体温を下げるのと同じことです。

温暖期も氷河期も、

地球にとっては単なる生命機能に過ぎないのです。

ところで、

地球という生命の上には、およそ900万種もの生命体が活動しています。

そして、

これら生命には「食べる」という本能がプログラムされています。

命を維持するためです。

900万種もの食物連鎖が、バランスしているのです。

温暖化が進行すれば熱帯雨林も消滅し、

行き場を失った生命は絶滅に追い込まれるでしょう。

今後数年で、数え切れないほどの種が絶滅するはずです。

しかしその一方で、新種も誕生するでしょう。

あるいは、種の絶滅によって、

別の種が異常発生するかもしれません。

生態系のバランスが崩れるのです。

しかし、

これも正確に言えば、バランスが崩れているのではありません。

生態系が崩れることで、バランスしているのです。

食物連鎖とは、900万種の弱肉強食という世界です。

強き者は食べ、弱き者は食べられる世界。

それはまさに、相場そのもの。

「食べる」というのは、本能です。

命を奪う側に悪意はありません。

食べなければ、食べられるからです。

食うか、食われるか。

それが自然界の掟であり、相場の掟です。

ところでバランスとは「計算」することが可能です。

コンピューターがこのまま進化を続ければ、

やがて地球そのものをシミュレーションする時代が訪れるでしょう。

この建物は中国のCCTVですが、

2つのL字ブロックを空中で繋げた大胆なデザインが目を奪います。

よく見ると、外壁を覆うメッシュの密度が異なります。

バランスできないものは、必ず弱い部分から崩壊します。

それは建物も同じこと。

大きな力が作用する部分のメッシュを蜜にすることで、

その弱点を補っているのです。

絶妙なバランスの裏に、緻密な構造計算が垣間見えます。

缶の飲み口は、なぜ非対称なのでしょうか?

偏らせることで、そこに力を集中させるためです。

ワザと、弱点をつくっているのです。

仮に、左右対称だったらどうなるでしょうか?

缶が開けられないという苦情が殺到するはずです。

弱点があることで、

小さな力で簡単に缶を開けることができるのです。

わざとバランスを崩すという発想です。

負組のトレードシステムには必ず弱点があります。

確率の波が、容赦なく弱点を襲うのです。

バランスとは、おそろいほどに繊細です。

負組のトレードシステムには、繊細さの欠片もないのです。

一流の料理を見ても、それは明らかでしょう。

甘味、酸味、塩味、苦味、旨味、それら全てが絶妙に調和し、

そこへ更に、

視覚や嗅覚がはたらき、バランスするのです。

そして、

完璧にバランスしているものには、感動が伴います。

一流のシェフが果たして、バランスを計算で導いているでしょうか?

石を積み上げる人間が、バランスをいちいち計算しているでしょうか?

そこにあるのは「理論」ではなく「感覚」です。

計算では導くことのできない究極の領域では、

理論以上に「感覚」が優先されるのです。

それが、超一流です。

言葉にすることはできません。感覚です。

負組トレーダーは例外なく理論武装へ走ります。

システムを理論式で塗り固め、安心するのです。

相場とは、自然そのもの。

少なくとも現代のコンピューターでは、

自然界を数式で解くことはできないのです。

それにも関わらず、

多くのトレーダーは相場を数式で解こうとしています。

完全に、無駄な努力です。

努力する方向が間違っているのです。

確率という目に見えない力。

自然界にもともと存在する力に目を向けない限り、

答えには永遠に辿り着けないでしょう。

自然界は、それほど偉大なのです。

生態系の変動を予測したところで、無意味でしょう。

あまりにも不確定要素が多すぎるからです。

相場の上下を予測しようとしているトレーダーは、

それと同じことをやっているのです。

トレードはギャンブルであり、ギャンブルはトレードです。

「カジノ必勝法」で検索すれば、いくらでも必勝法が出てくるでしょう。

世間に溢れている必勝法は、間違いなく必敗法です。

その一方で、カジノがギャンブルである以上、

カジノ理論は極めてトレードに有益です。

ところが、

世間のカジノ必勝法はバランスがとれていません。

負組のトレードシステムも、バランスがとれていません。

必勝法と必敗法は、おそろしいほど「紙一重」です。

途方もない「繊細さ」を秘めています。

多くのトレーダーは、おしいところまで辿り着きます。

ところが、

最後の詰めで「繊細さ」が足りないのです。

どれほどに、紙一重なのか?

紙一枚の厚みを、勘違いしているのです。

結果として、

勝てそうで勝てないシステムが出来上がります。

トレードシステムの要素とは何でしょうか?

勝率、枚数、リスクリワードレシオ、シャープレシオ、枚数比率・・・

それら全てが、バランスするポイント。

果たして、これらの要素の組み合わせは何通り存在するのか?

多くのトレーダーが挫折するのも無理はありません。

そして、

奇跡的にバランスポイントを見出したところで、

精神が伴わないために挫折するトレーダーが殆どです。

羽根1枚の重さは何グラムでしょうか?

必勝法と、必敗法の違い。

つまり勝組と負組の違いは、羽根1枚の重さしかありません。

わずか数グラムが、両者を決定的に隔てているのです。

それが、バランスの繊細さです。

多くのトレーダーが「繊細」という言葉の意味を軽んじているのです。

紙1枚の厚み、羽根1枚の重さがどれほどの意味を持つのか。

全てを成立させているのは、羽根1枚。

ほんの数グラムの重みが、バランスを完成させているのです。

あなたが必勝法に辿り着けていないとすれば、

それはきっと、羽根1枚程度の違いでしかありません。

勝組のシステムも、負組のシステムも、大した違いは無いのです。

一見すると、同じシステムにすら見えるでしょう。

紙一重でバランスがとれていないシステムは、必ず崩壊するのです。

それは理論ではなく、感覚という領域です。

そして、

全てが完璧に調和したシステムは、

「美しさ」と同時に「力強さ」を兼ね備えているのです。

ルブタンのハイヒールには無駄な線が存在しない

本物から学ぶ時は、

写真などから吸収するのではなく、

必ず「生」で感じ取るようにしてください。

そこでしか分からないことが、

必ずあるからです。

ルブタンのハイヒールを見て、あなたは何を感じますか?

あるいは、どんな言葉が浮かぶでしょうか?

ものごとの良し悪しを判断するとき、

あなたの中に明確な判断基準はありますか?

トレードを仕掛ける際にも、明確な判断基準は必要不可欠でしょう。

負組トレーダーは、自分がエントリーした「理由」を説明できません。

当然です。

何の根拠もなく、ただ闇雲にエントリーし、

何の根拠もなく、ただ闇雲にイグジットしているのですから。

根拠のないトレードの「理由」を尋ねられても答えられないでしょう。

理由が不明確なトレードとは、

多くの場合、感情に流されているトレードです。

あるいは、

体調や気分に左右されてしまっているトレードです。

根拠が曖昧なエントリーを重ねながら、

勝ち続けることなど不可能でしょう。

そして、

トレーダーが大きく負けるのは、

後から理由を説明できないエントリーをしたときです。

トレードに限らず、

全てのものごとには「判断」がつきまといます。

判断の連続で、

今のあなたが在るのです。

これまでに積み重ねてきた、数え切れないほどの「判断」。

その中の1つでも違う判断をしていれば、

今のあなたとは全く違う、別人のあなたが存在しています。

あなたの判断には、あなただけの「軸」があるでしょう。

良し悪しを決定づけるための、判断基準です。

良し悪しとはつまり、

本物か偽物かということです。

本物を見分ける方法は、1つしかありません。

美しいかどうか。

ただ、それだけです。

「美しさ」を判断基準に据えるだけで、

全てのものごとの真偽を見極めることができるのです。

あなたの心、思考、言動、行動、服装、所作。

それら全てに、

「美しさ」はありますか?

突き詰めれば、

「心」が美しいかどうかです。

心が思考となり、言葉となり、所作に表れます。

あなたの所作を見れば、

あなたの心が分かってしまうのです。

お金は、

美しいところへ集まります。

成功者の所作は、ひとつひとつが美しいのです。

それは、

心が美しいからです。

ドアの開け方や閉め方からも、それが伝わります。

お金のない人は、ドアの開け閉めにも品がありません。

心を亡くしているからです。

靴の脱ぎ方、靴の履き方、靴の置き方を見れば、

その人の育ちが分かります。

わずか数秒の所作の中に、全てが表れてしまうのです。

結局のところ、

お金のない人は全てのものごとに対して、

感謝と愛が欠けているということです。

靴に対する愛がないから、靴を雑に扱えるのです。

靴も、そんな人間に履いてもらいたくありません。

靴にも意思があります。

愛のない人のところはすぐにでも去りたいので、

靴はすぐに痛み、ダメになります。

靴は喜んで去っていくのです。

そして、また買い換えなければなりません。

そうやって、

お金のない人からお金は去っていくのです。

全てを愛せる人は、靴も愛せます。

ドアも愛し、美しく丁寧に閉めることができるのです。

結果として、モノは長持ちします。

十年以上も、同じ靴を履けます。

靴もまた、愛してくれる人のもとを去りたくないのです。

もう一度、

ルブタンのハイヒールを見て、何を思いますか?

そこに感じるのは、美しさです。

ただただ美しく、思わず溜息が漏れます。

「美しい」というのは、それが「本物」だということです。

そして、

本物には必ず心が宿ります。

デザイナーの魂を感じるのです。

あなたにとって「美しさ」とは何ですか?

美しさとは、

シンプルさです。

無駄なものが極限まで削ぎ落とされ、

どの角度から見ても美しく「隙」がない。

「隙」の無さに、途方もない「洗練」を感じるのです。

美しいものは、何時間と眺めていても飽きません。

それだけ、

深いということです。

シンプルさの中に、とてつもない「こだわり」を感じます。

それは0.1ミリ単位でのこだわりであり、努力です。

その「こだわり」が、

デザイナーの魂となって映し出されているのです。

ほんの僅かでも線がズレてしまえば、全てが崩れ落ちます。

美しさとは、

繊細さ、脆さ、儚さも兼ね備えているのです。

完璧な絶妙さでバランスを保ち、

危うくも、力強い。

これらは、美しいものに共通して言えることです。

あなたの日々の所作は、

美しいですか?

あなたの心は言葉や所作に表れるだけでなく、

顔にも表れます。

30歳を過ぎているのなら、

自分の顔にも責任を持たなければならないのです。

あなたの心が透き通っていれば、

あなたの瞳も透き通っているでしょう。

あなたのトレードシステムはどうでしょうか?

美しいシステムですか?

美しいなら、そのシステムは本物です。

美しくなければ、そのシステムは偽物です。

シンプルかどうか?洗練されているか?

負組トレーダーのシステムは、全く美しくありません。

幾重にもフィルターを重ね、余計なものでゴチャゴチャしているのです。

勝組トレーダーのシステムが美しいことは、言うまでもないでしょう。

無駄なテクニカルは全て削ぎ落とされ、一切の無駄がないのです。

一流の水泳選手が誰よりも早く泳げるのは、何故でしょうか?

誰よりも、無駄な動きが少ないからです。

アップルのデザインが人気を帯びるのは、何故でしょうか?

シンプルで、無駄がなく、美しいからです。

これ以上、削ぎ落とすものがない。

そこに「洗練」を感じとるのです。

1mmでも狂えば、全てが台無しです。

しかし世の中には、

無駄の塊のようなデザインが溢れています。

負組トレーダーのシステムも然り。

ゴチャゴチャしているものは、偽物です。

後からとって付けたようなデザインは、着飾りです。

着飾ることで、中身を誤魔化しているのです。

まったく着飾っていないものは、中身を晒すしかありません。

誤魔化しは一切通用しないでしょう。

世の中、

シンプルで単純な物事ほど、

本物と考えて間違いないのです。

いい車にも、無駄がありません。

ミリ単位で洗練され、

どの角度から見ても「隙」が見当たらないのです。

一流の車は、空気の流れをデザインしています。

一流の水泳選手は、水の流れを味方にしています。

ルブタンのヒールがこれほど細く美しいのは何故でしょうか?

ヒールにかかる体重、つまり力の流れをデザインしているからこそ、

この「細さ」が成り立つのです。

行き着くところは、なぜか「流れ」です。

空気も、水も、力も、全ては自然界にもともと存在するもの。

何もデザインしない、ありのままの「自然」こそ、

この世で最も美しいデザインだと気付かされるのです。

車をあれこれ改造して乗る人がいます。

ホイールを変え、エアロを取り付け、マフラーを変え・・・

フェラーリも改造する人がいます。

超一流の車を、自ら四流にしているのです。

超一流の車は、超一流のデザイナーがデザインしたものです。

それ以上、手を加えられない状態。

絶妙にバランスを保った、繊細な美しさ。

その美しさに容赦なく手を加え、台無しにする人が多すぎます。

どう見ても、改造する前のほうが美しいのです。

素人がいくら努力したところで、

ピニンファリーナのセンスには敵わないでしょう。

マフラー音も変える人がいます。

フェラーリのサウンドは素の状態で既に美しいのです。

フェラーリに限らず、

改造されたマフラー音はたいてい下品です。

美しさの欠片もありません。

本物は音が違います。

あまりの美しさに、官能をくすぐられるのです。

本物であるための条件は、

単に「美しい」というだけでなく、

「どの角度から」みても美しいということです。

どこにも立ち入る「隙」があってはなりません。

本物を見極めるためには、

あらゆる角度から観察してください。

あなたのトレードシステムはどうでしょうか?

どこか一箇所でも「隙」があれば、

そのシステムは決して成立しません。

隙があれば、必ず破綻するでしょう。

本物と偽物は、常に紙一重なのです。

両者は、似て非なるもの。

その真意を理解できない人の目には、

本物も偽物も、まるで同じものに映るでしょう。

それは0.1ミリ単位の世界。

生半可な覚悟では、

決して気付けない領域なのです。

あなたのシステムを、

あらゆる角度から見直してみてください。

全ての判断は、美しいか否かです。

ルブタンのレッドソールは人の目を惹き付けます。

街中でも見かけますね。

このレッドはもともと、

ソールにもマニキュアを塗ってしまおうという発想から生まれたものです。

言うまでも無く、マニキュアも展開しています。

最近では、ルブタンを模倣した偽物も多く出回っています。

多くのブランドがレッドソールを真似しているのです。

しかし、

偽物かどうかはすぐに分かります。

偽物は決して本物を越えることはできません。

放たれるオーラが違うのです。

本物を履いている人もいますが、

履かされている人が殆どです。

ルブタンを履いているのではなく、

ルブタンに履かされているのです。

そういう人は、足下だけが浮いています。

そして、歩き方が美しくありません。

ルブタンに相応しい歩き方ができていないのです。

美しくない心は「歩き方」に表れます。

正しく美しく履きこなせる人は、本当に一握りです。

逆に、成功者の世界では、

正しく履きこなせない人は一人もいません。

超一流のシューズを履きこなせない人間は、

超一流とは呼べないのです。

美しいモノには、

美しい心が伴わなければ、醜いだけです。

お金も同じです。

下品な遣い方しかできない人が多すぎます。

お金をコントロールしているのではなく、

お金からコントロールされてしまっているのです。

トレードで成功する覚悟があるのなら、

「美しさ」に目を向けてください。

日常の中での、

ひとつひとつの思考、行動、言葉、所作。

それら全てに、気を配るのです。

それができれば、あなたはいつしか、

靴に感謝しながら靴を脱いでいる自分にハッとするでしょう。

そして、

今この瞬間も真剣に読んでくださっているあなたは、

お金をコントロールし、お金を美しく遣える人です。

そんなあなたには、間違いなくルブタンが似合います。

必然と、歩き方も美しくなるでしょう。

あなたの爪先にも、足下にも、その赤は美しく栄えます。

それが似合うかどうかは、

あなたの心が美しいかどうかの問題です。

年齢や性別など関係ありません。

もちろんメンズシューズも展開しています。

むしろ男性にこそ、履いてもらいたいのです。

最近ではヌードカラーのパンプスも展開されています。

同じヌードカラーでありながら、絶妙にカラートーンを変えています。

一体なぜ、ここまでするのでしょうか?

自分だけの一足を見つけるためです。

成功者はみな、自分のこだわりがあります。

そして人それぞれ、肌の色はみな違います。

自分だけの色を見つけ、

爪先にマニキュアを塗るように、足先にマニキュアを塗るのです。

ルブタンの、ちょっとした遊び心です。

あなたも、自分だけの一足を探してみてはどうでしょうか?

人生は「判断」の連続です。

「判断」とは「選択」です。

ルブタンという小さな選択が、あなたの人生を変えます。

なぜなら、

あなた自身で選択したからです。

自分で、

自分を変えたのです。

偽物ではなく、

本物のヒト・モノ・コトから学んでください。

時間のないエコノミーはお金を失くし心も亡くす

忙しく流れる時代となりました。

情報、物流、全てが高速化され、

何もかもが目まぐるしく変わりゆく様に、

「忙しい」という言葉が浮かびます。

かつては、

自分の足で歩くことしか移動手段のない時代がありました。

それがいつしか、

車が誕生し、船や鉄道が整備され、飛行機が飛ぶようになった。

人々は、

時間短縮の為に「速さ」を追い求めてきたのです。

この追求は、永遠に続くでしょう。

人々は、

一体どこへ向かおうとしているのでしょうか?

効率を追い求めて、

何を急いでいるのでしょうか・・・

「忙しさ」に自分を忘れ、

何か大切なものを見落としているのです。

かつては、

全てがゆっくりと流れる時代があったはずです。

いいえ。

いま現在も尚、

そういう部族が少なからず実在しています。

彼らには、

「時間」という概念がありません。

1ヶ月先、1年先と言われても、

言葉の意味が通じないのです。

彼らにある概念は「明日、あさって」までです。

3日後はありません。

「時間」の感覚は、それで十分なのです。

彼らは、

「いま」を生きているということです。

太陽と共に1日が始まり、

太陽と共に1日が終わる。

自然界に身を委ね、

生活のリズムを宇宙に合わせているのです。

ところが経済諸国に目を向けてみると、

昼夜を問わず、休むことなく活動しています。

人々は、

自分がどこへ向かおうとしているのかも分からぬまま、

ただひたすら先を急いで走り続けているのです。

エコノミーは、とても忙しそうに働いています。

彼らは実際、

「時間がない、忙しい」というのが口癖になっています。

忙しくて時間がないというのは、単なる言い訳に過ぎません。

完全に負組の言葉です。

エコノミーの言葉には耳を傾けないように気をつけてください。

あなた自身がエコノミーへ引きずり込まれますよ。

そしてこの世の中は、

忙しい人や、時間のない人ほど、お金がありません。

どれだけ忙しく働こうと、

決してお金は殖えない仕組みが出来上がっているのです。

多くの人は、

そこから抜け出したくても、抜け出せません。

考える次元を変えない限り、

永遠に解決しない問題なのです。

「忙しい」とは、

「りっしんべん」に「亡」と書きます。

「りっしんべん」は「心」を立てたものです。

「忙しい」とは、「心を亡くす」ことを意味するのです。

「忙しい」が口癖の人は、いつも心を亡くしているということです。

日本では特に、

「忙しい」ということを「かっこいい」とする風潮さえ漂っています。

「仕事に追われて忙しい自分」に憧れているのです。

忙しそうな人を、何かに誘ったとしましょう。

その人は、きっとこう答えます。

「ごめん、今月は忙しいから、来月でも大丈夫?」と。

本物のチャンスに、「次」などありません。

忙しさを理由に断った時点で既に、チャンスを失っているのです。

時間のない人、忙しい人には、

本物のチャンスは永遠に巡ってこないということです。

忙しく働くことで、

いつかチャンスを掴めると思っている人が多すぎます。

心を亡くして動き続けた結果、

何のチャンスとも出逢えず、

中身が空っぽの自分が佇んでいることに気付くでしょう。

その人に運がなく、

偶然チャンスがこなかったのではなく、

必然的に運から見放されたのです。

「運」という言葉の意味を全く分かっていないことも含めて、

それが彼らの実力です。

エコノミーは、

まるで「運」が天から与えられるものかのように、

「ツイてない」なんていう言い訳を繰り返しています。

あなたの周りには、

いつも時間がなさそうにしている人や、

忙しそうにしている人はいませんか?

成功する覚悟があるのなら、

そういう人がいない世界へ目を向けてください。

四流は、とても暇そうにしています。

彼らは実際、暇なのです。

超一流もまた、暇そうにしています。

「忙しさ」が、全く表に出てこないのです。

なぜなら、

「忙しい」という意識が全くないからです。

何かをやろうとするとき、

今はお金がないからできないとか、

今は時間がないからできないという人がいます。

まず、言い訳から始まるのです。

そういう人々は、

たとえ十分なお金と時間を手にしたとしても、

相変わらず「何もできない人」のままです。

時間があれば毎日ジョギングしたいんだけどなぁ・・・と嘆く人は、

十分な時間を手にしてもジョギングなどしないということです。

時間がない人には、お金もありません。

それは社会階級の責任ではなく、

100%自分の責任です。

なぜ、

忙しく走り回ってもお金が足りないのでしょうか?

お金を「蝶」に喩えてみます。

蝶の数が、その人の年収です。

人々はお金を稼ぐため、飛び回る蝶を捕まえようと必死になります。

虫カゴを肩にぶら下げ、虫捕り網を持って蝶を追いかけ回るのです。

汗を流しながら、ひたすら走り続けます。

それだけ働いたのだから、数匹の蝶は捕まえられるでしょう。

しかし、やがて虫カゴは蝶でいっぱいになります。

虫カゴをいくつも用意して、

両手に虫捕り網を持って走る人もいます。

しかし、どのような方法で挑もうと限界が訪れるでしょう。

それが、労働の限界です。

お金のない人、時間のない人は、

蝶を捕まえることで頭がいっぱいです。

一体どうすれば、より多くの蝶を捕まえることができるのか?

その方法をいつも考えながら、

来る日も来る日も蝶を追っているのです。

残念ながら、

蝶を捕まえようとしている時点で、その世界からは抜け出せません。

蝶を追いかけている時点で、

完全に負組であり、

完全にエコノミーなのです。

お金を手にしたいのなら、蝶を捕まえようとしないことです。

蝶たちを、自由にしてあげてください。

虫カゴに入れられた蝶は、見ているだけで可哀想でしょう。

その羽を広々と広げ、自由に羽ばたくからこそ、

蝶は美しいのです。

蝶を捕まえる必要はないのだから、

あなたにはもう、虫カゴも虫捕り網も必要ありません。

目の前を蝶が飛び交っているのに、

虫捕り網を捨てる勇気がありますか?

その勇気が無ければ、

以前と同じように、

虫捕り網を片手に蝶を追いかけるしかありません。

そして、

成功を諦めた上で、

いつまでも蝶を追いかけてください。

虫捕り網を捨て、

虫カゴも捨てる覚悟ができた人は、

美しい庭をつくることに専念してください。

忙しく働くことが心を亡くすことだと気づいたとき、

あなたには「心」が宿ります。

その心が、美しい庭です。

豊かな土、草、樹木、花、自然の生命に溢れる庭には、

たくさんの蝶が集まります。

蝶を追う必要はありません。

蝶から寄ってくるのです。

あなたが成功する覚悟があるのなら、

蝶を追うのではなく、

庭をつくることに力を注いでください。

美しい庭が、完成したとき。

蝶を追わずとも、

あなたには十分なお金が入ってくるでしょう。

しかし、

美しい庭を保つためには、手入れが必要です。

スコップを片手に、1本1本の花に愛を与え、命を吹き込むこのです。

虫捕り網ではなく、スコップを選べるかどうかです。

蝶を追いかけるか、蝶を自由にするか。

その時点で既に、

勝敗が決まっているのです。

忙しい人、虫捕り網を選んだ人には、

数えられるほどの蝶しか与えられません。

虫カゴには限界があるからです。

そして、

「お金と時間」がない人は、

「お金と時間」さえ手に入れば幸せになれると勘違いしています。

その人にとっては、

お金も時間もない状態が不幸なのでしょう。

「お金と時間」が幸せの判断基準になっている時点で、

既に不幸です。

忙しくない人、庭づくりを選んだ人には、

数え切れないほどの蝶が与えられます。

そして、

庭の手入れを怠らず、

少しずつ庭が豊かになり始めたとき・・・

庭が自ら生命力を帯び、

人の手を加えることもなく「美しさ」が加速します。

人間の手を加えない状態。

ありのままの自然こそ、

最も美しい庭であることに気付かされるのです。

相場はゼロサムゲームです。

トレードの損失は、他のトレーダーの利益となります。

トレードとは、蝶を追いかけているのではなく、

他のトレーダーの虫カゴを奪い合う世界です。

トレードとは、投資のひとつに過ぎません。

あなたの身の回りには、トレード以外の投資先がいくつもあるはずです。

トレードで勝ち続けることは最低条件であり、

勝ち続けて当たり前です。

成功する覚悟があるのなら、

トレードで勝つだけでなく、

自分の庭づくりにも心を注いでください。

成功者の庭は、例外なく美しいのです。

単に勝組トレーダーになることだけがあなたの目的なら、

あなたに庭は必要ありません。

必勝システムを走らせ、

他トレーダーの虫カゴを奪い続ければ良いのです。

しかし、

トレードしている目的がその先にあるのなら、

あなたには美しい庭が必要です。

勝組トレーダーと成功者は、まったく別物です。

何のために、

この世に生まれてきたのか?

勝組トレーダーになるためか?

それとも、

成功者になるためか?

その問いを自分に投げかければ、その答えは明らかでしょう。

「忙しい」と口にするのは、

簡単なことであり、

人間の恥です。

そんなエコノミーの言葉は、

あなたの脳から削除してください。

削除して空いたスペースには、

「超一流の思考」を取り込めば良いのです。

気が付けばあなたは、

大衆とは真逆の方向へ歩み始めています。

つまり本当の意味での、

「成功」へ突き進んでいるでしょう。

あなたにとって、

庭とは何ですか?

そして、

あなたにとって、

スコップとは何ですか?

そもそも、

あなたにとって、

お金とは何ですか?

あなたの、

お金に対するそういう考え方、

そういうスコップの持ち方で、

その庭は、

本当に美しくなりますか?

あなたの収入はあなたの爪が決めている

FLASH SHINING BLOCKと書かれたブロック。

これが何なのか、分かりますか?

女性なら普通に分かると思いますが、

男性のあなたには「???」が浮かんでいるかもしれません。

これは、

爪を磨くためのブロックです。

私の生活に、なくてはならない必需品です。

ブロックの4面それぞれに異なる仕上げが施されており、

完璧に爪を磨き上げることができます。

爪がキュキュッと鳴けば完成です。

ちなみに私は男ですが、

爪を磨いています。

おかしいと思いますか?

ここで違和感を感じるのなら、

あなたがエコノミーということであり、

永遠に成功はないということです。

爪を磨くのは、女性がやることだ。

そんなふうに思っているのなら、

成功は諦めたほうがいいです。

男が爪を磨くことに違和感を感じるのは、

あなたの周りに、そういう人間がいないからです。

あなたが今、

そういう世界で生きているというだけのことです。

この感覚が解らなければ、

あなたが相場でどれだけ稼げたところで、

あなたはお金持ちにはなれません。

成金になって、それでお終いです。

私が初めて、

爪を磨いている男性に出逢ったのは、大学時代でした。

友人の父が、

「当たり前」のように爪を磨き、輝かせていたいのです。

もちろん彼は、

私からみて異次元の成功者でした。

私はそのとき、

強烈な違和感を感じました。

爪を手入れするのは、女性だけだと思い込んでいたからです。

しかし私は、

彼の生き方に魅了されてしまい・・・

今の自分に理解できなくとも、

とりあえず、彼の行動を真似てみることにしました。

爪を磨くようになって10年が経過し、

ようやく・・・

その真意を体感として理解できるようになりました。

今となってはもう・・・

爪が曇っているという状態が許せないのです。

なぜなら、

爪は本来、輝いているものだからです。

爪が本来の輝きを失っているのは、

あなたの怠惰であり、あなたの心です。

このブロックで爪を磨くと、

まるで透明マニキュアを施したかのように光を放ちます。

ときどき、

「何か塗ってるんですか!?」と、驚かれることがあります。

何も塗りませんし、ただ磨いているだけです。

輝いて在るべきものを、

本来の姿のまま、輝かせているだけのことです。

それが、当然です。

当たり前のことを当たり前にできないのが、エコノミーです。

あなたの身の周りには、

輝いていなければならないモノが溢れているはずです。

それらは全て、

光を放つほど完璧に輝いていますか?

香水ボトル、ドアノブ、ワイングラス、ティーカップ、鏡、

便器、シンクのステンレス、時計のフェイス、シューズ・・・

あなたがもし、

輝きを失って曇ったモノに取り囲まれているとしたら・・・

あなたの未来は絶望的です。

鏡の曇り、

鏡の輝きは、

そっくりそのまま、あなたの心です。

エコノミーは、

例外なく、ありとあらゆるモノが曇り果てているのです。

当然、

彼らの爪が輝いているはずもありません。

私は、

初対面のとき自然と相手の爪に目がいきます。

爪に、

あなたの全てが表れているからです。

あなたの言葉よりも、

あなたの爪が、

あなたを語っているのです。

爪を見た瞬間に、

この人とはお付き合いできないなと思ったり、

この人のことをもっと深く知りたいと思ったりする訳です。

その人の爪を見れば、

その人が将来的に辿り着く年収がわかります。

あなたの爪は、

あなたの全てを物語っているのです。

年収によって、爪の美しさが変わるのではありません。

爪の美しさが、年収を決めているのです。

男性のあなた。

騙されたと思って、爪を磨いてみてください。

私は10年かかりましたが、

あなたなら1年で理解してしまうかもしれません。

ただ、継続しなければ意味がありません。

継続して初めて、解るのです。

それを継続できたとき、あなたは徐々に、

爪が美しい男性(女性)と巡り合う機会が増えてくるに違いありません。

爪の美しさは、

その人の年収と完璧に調和しています。

私はときどき、

自分でも驚いてハッとすることがあります。

日常生活のうち、

殆ど全ての時間を「磨く」ことしかやっていない自分に、

思わず笑ってしまうのです。

便器を磨き、

シューズを磨き、

鏡を磨き、

シンクを磨き、

ワイングラスを磨き、

香水を磨き、

時計を磨き、

爪を磨き・・・

一日中、磨いています。

磨きながら、

自分の中にいる自分と対話しているのです。

ただ磨くだけでは、何の意味もありません。

どういう心で磨くかであり、

そこに感謝があるか否かです。

もともと輝いているべき全てのモノを、

徹底的に磨き上げる。

それが、自分磨きです。

歯を磨きながら、歯に感謝していますか?

あなたの歯は、あなたの心をしっかり聞いているのです。

もう一度、

あなたの身の周りの全てを見渡してみてください。

輝きを失い、曇っているモノはありませんか?

エコノミーは、

「磨く」という行為に費やす時間と手間を惜しみます。

「磨く」ことが、無駄だと感じているのです。

本当の美しさは、

無駄の中にしか宿らないのです。

エコノミーはきっと、

当たり前に輝いている何かを見ても、

そこに費やされている膨大な時間と手間に気づけないでしょう。

成功する覚悟を決めているのなら、

当たり前のことを当たり前に継続してみてください。

あなたの爪が輝くと、

あなたの心が指先まで通います。

指先に心が通うと、

指先の些細な所作の中に「品」が宿ります。

美しい指先に、

荒々しく雑な所作は似合わないのです。

指先を、丁寧に動かしたいと思える心。

それが、美しさです。

佇まいが美しい人間の品格は、

そういった些細な所作への心遣いからきているのです。

素敵な腕時計をつける時も気を付けてください。

指先が素敵でなければ、時計に対して失礼です。

当然、相手にも失礼です。

全てのモノを輝かせておくことは、

全てのヒト・モノ・コトに対する礼儀でもあるのです。

全てのモノを徹底的に磨き上げ、

あなたという「人間」を磨いてください。

何も磨かれていないエコノミーに限って、

いつかは素敵な家に住みたいと嘆いています。

彼らが素敵な家に住んだところで、

それは素敵な家には成り得ません。

そこに住まう人間も含めて、それが家だからです。

何も磨けない人間が、

どれだけ素敵な家に住んだところで、

そこに「美しさ」は存在しないのです。

当然、

そんな場所に「幸せ」や「喜び」があるはずもありません。

素敵なヒト・モノ・コトを求める前に、

先ずあなたが、素敵になってください。

豊栄産業の爪磨きブロック。

1つ500円で、何度も使えます。

これほど魅力的な投資はないでしょう。

女性は、爪が輝いていて当然。

いいえ。

むしろ男こそ、

爪が輝いていて当然なのです。

もちろん、

男の場合は爪が伸びていることなど許されません。

爪は、切るものではありません。

爪は、研ぐものです。

エコノミーは、

ある程度爪が伸びたところで、切ります。

それが妥協です。

伸びた爪で過ごす1日を許しているということです。

爪は、毎日研ぐもの。

それほどに、

爪の長さには注意を払ってください。

いまこの瞬間。

あなたの爪は、大丈夫ですか?

あなたの爪が伸びていた瞬間、

あなたの信用力はゼロになります。

そして、

お金とは、

信用力のことです。