時間のないエコノミーはお金を失くし心も亡くす

忙しく流れる時代となりました。
情報、物流、全てが高速化され、
何もかもが目まぐるしく変わりゆく様に、
「忙しい」という言葉が浮かびます。
かつては、
自分の足で歩くことしか移動手段のない時代がありました。
それがいつしか、
車が誕生し、船や鉄道が整備され、飛行機が飛ぶようになった。
人々は、
時間短縮の為に「速さ」を追い求めてきたのです。
この追求は、永遠に続くでしょう。
人々は、
一体どこへ向かおうとしているのでしょうか?
効率を追い求めて、
何を急いでいるのでしょうか・・・
「忙しさ」に自分を忘れ、
何か大切なものを見落としているのです。
かつては、
全てがゆっくりと流れる時代があったはずです。
いいえ。
いま現在も尚、
そういう部族が少なからず実在しています。
彼らには、
「時間」という概念がありません。
1ヶ月先、1年先と言われても、
言葉の意味が通じないのです。
彼らにある概念は「明日、あさって」までです。
3日後はありません。
「時間」の感覚は、それで十分なのです。
彼らは、
「いま」を生きているということです。
太陽と共に1日が始まり、
太陽と共に1日が終わる。
自然界に身を委ね、
生活のリズムを宇宙に合わせているのです。
ところが経済諸国に目を向けてみると、
昼夜を問わず、休むことなく活動しています。
人々は、
自分がどこへ向かおうとしているのかも分からぬまま、
ただひたすら先を急いで走り続けているのです。
エコノミーは、とても忙しそうに働いています。
彼らは実際、
「時間がない、忙しい」というのが口癖になっています。
忙しくて時間がないというのは、単なる言い訳に過ぎません。
完全に負組の言葉です。
エコノミーの言葉には耳を傾けないように気をつけてください。
あなた自身がエコノミーへ引きずり込まれますよ。
そしてこの世の中は、
忙しい人や、時間のない人ほど、お金がありません。
どれだけ忙しく働こうと、
決してお金は殖えない仕組みが出来上がっているのです。
多くの人は、
そこから抜け出したくても、抜け出せません。
考える次元を変えない限り、
永遠に解決しない問題なのです。
「忙しい」とは、
「りっしんべん」に「亡」と書きます。
「りっしんべん」は「心」を立てたものです。
「忙しい」とは、「心を亡くす」ことを意味するのです。
「忙しい」が口癖の人は、いつも心を亡くしているということです。
日本では特に、
「忙しい」ということを「かっこいい」とする風潮さえ漂っています。
「仕事に追われて忙しい自分」に憧れているのです。
忙しそうな人を、何かに誘ったとしましょう。
その人は、きっとこう答えます。
「ごめん、今月は忙しいから、来月でも大丈夫?」と。
本物のチャンスに、「次」などありません。
忙しさを理由に断った時点で既に、チャンスを失っているのです。
時間のない人、忙しい人には、
本物のチャンスは永遠に巡ってこないということです。
忙しく働くことで、
いつかチャンスを掴めると思っている人が多すぎます。
心を亡くして動き続けた結果、
何のチャンスとも出逢えず、
中身が空っぽの自分が佇んでいることに気付くでしょう。
その人に運がなく、
偶然チャンスがこなかったのではなく、
必然的に運から見放されたのです。
「運」という言葉の意味を全く分かっていないことも含めて、
それが彼らの実力です。
エコノミーは、
まるで「運」が天から与えられるものかのように、
「ツイてない」なんていう言い訳を繰り返しています。
あなたの周りには、
いつも時間がなさそうにしている人や、
忙しそうにしている人はいませんか?
成功する覚悟があるのなら、
そういう人がいない世界へ目を向けてください。
四流は、とても暇そうにしています。
彼らは実際、暇なのです。
超一流もまた、暇そうにしています。
「忙しさ」が、全く表に出てこないのです。
なぜなら、
「忙しい」という意識が全くないからです。
何かをやろうとするとき、
今はお金がないからできないとか、
今は時間がないからできないという人がいます。
まず、言い訳から始まるのです。
そういう人々は、
たとえ十分なお金と時間を手にしたとしても、
相変わらず「何もできない人」のままです。
時間があれば毎日ジョギングしたいんだけどなぁ・・・と嘆く人は、
十分な時間を手にしてもジョギングなどしないということです。
時間がない人には、お金もありません。
それは社会階級の責任ではなく、
100%自分の責任です。
なぜ、
忙しく走り回ってもお金が足りないのでしょうか?
お金を「蝶」に喩えてみます。
蝶の数が、その人の年収です。
人々はお金を稼ぐため、飛び回る蝶を捕まえようと必死になります。
虫カゴを肩にぶら下げ、虫捕り網を持って蝶を追いかけ回るのです。
汗を流しながら、ひたすら走り続けます。
それだけ働いたのだから、数匹の蝶は捕まえられるでしょう。
しかし、やがて虫カゴは蝶でいっぱいになります。
虫カゴをいくつも用意して、
両手に虫捕り網を持って走る人もいます。
しかし、どのような方法で挑もうと限界が訪れるでしょう。
それが、労働の限界です。
お金のない人、時間のない人は、
蝶を捕まえることで頭がいっぱいです。
一体どうすれば、より多くの蝶を捕まえることができるのか?
その方法をいつも考えながら、
来る日も来る日も蝶を追っているのです。
残念ながら、
蝶を捕まえようとしている時点で、その世界からは抜け出せません。
蝶を追いかけている時点で、
完全に負組であり、
完全にエコノミーなのです。
お金を手にしたいのなら、蝶を捕まえようとしないことです。
蝶たちを、自由にしてあげてください。
虫カゴに入れられた蝶は、見ているだけで可哀想でしょう。
その羽を広々と広げ、自由に羽ばたくからこそ、
蝶は美しいのです。
蝶を捕まえる必要はないのだから、
あなたにはもう、虫カゴも虫捕り網も必要ありません。
目の前を蝶が飛び交っているのに、
虫捕り網を捨てる勇気がありますか?
その勇気が無ければ、
以前と同じように、
虫捕り網を片手に蝶を追いかけるしかありません。
そして、
成功を諦めた上で、
いつまでも蝶を追いかけてください。
虫捕り網を捨て、
虫カゴも捨てる覚悟ができた人は、
美しい庭をつくることに専念してください。
忙しく働くことが心を亡くすことだと気づいたとき、
あなたには「心」が宿ります。
その心が、美しい庭です。
豊かな土、草、樹木、花、自然の生命に溢れる庭には、
たくさんの蝶が集まります。
蝶を追う必要はありません。
蝶から寄ってくるのです。
あなたが成功する覚悟があるのなら、
蝶を追うのではなく、
庭をつくることに力を注いでください。
美しい庭が、完成したとき。
蝶を追わずとも、
あなたには十分なお金が入ってくるでしょう。
しかし、
美しい庭を保つためには、手入れが必要です。
スコップを片手に、1本1本の花に愛を与え、命を吹き込むこのです。
虫捕り網ではなく、スコップを選べるかどうかです。
蝶を追いかけるか、蝶を自由にするか。
その時点で既に、
勝敗が決まっているのです。
忙しい人、虫捕り網を選んだ人には、
数えられるほどの蝶しか与えられません。
虫カゴには限界があるからです。
そして、
「お金と時間」がない人は、
「お金と時間」さえ手に入れば幸せになれると勘違いしています。
その人にとっては、
お金も時間もない状態が不幸なのでしょう。
「お金と時間」が幸せの判断基準になっている時点で、
既に不幸です。
忙しくない人、庭づくりを選んだ人には、
数え切れないほどの蝶が与えられます。
そして、
庭の手入れを怠らず、
少しずつ庭が豊かになり始めたとき・・・
庭が自ら生命力を帯び、
人の手を加えることもなく「美しさ」が加速します。
人間の手を加えない状態。
ありのままの自然こそ、
最も美しい庭であることに気付かされるのです。
相場はゼロサムゲームです。
トレードの損失は、他のトレーダーの利益となります。
トレードとは、蝶を追いかけているのではなく、
他のトレーダーの虫カゴを奪い合う世界です。
トレードとは、投資のひとつに過ぎません。
あなたの身の回りには、トレード以外の投資先がいくつもあるはずです。
トレードで勝ち続けることは最低条件であり、
勝ち続けて当たり前です。
成功する覚悟があるのなら、
トレードで勝つだけでなく、
自分の庭づくりにも心を注いでください。
成功者の庭は、例外なく美しいのです。
単に勝組トレーダーになることだけがあなたの目的なら、
あなたに庭は必要ありません。
必勝システムを走らせ、
他トレーダーの虫カゴを奪い続ければ良いのです。
しかし、
トレードしている目的がその先にあるのなら、
あなたには美しい庭が必要です。
勝組トレーダーと成功者は、まったく別物です。
何のために、
この世に生まれてきたのか?
勝組トレーダーになるためか?
それとも、
成功者になるためか?
その問いを自分に投げかければ、その答えは明らかでしょう。
「忙しい」と口にするのは、
簡単なことであり、
人間の恥です。
そんなエコノミーの言葉は、
あなたの脳から削除してください。
削除して空いたスペースには、
「超一流の思考」を取り込めば良いのです。
気が付けばあなたは、
大衆とは真逆の方向へ歩み始めています。
つまり本当の意味での、
「成功」へ突き進んでいるでしょう。
あなたにとって、
庭とは何ですか?
そして、
あなたにとって、
スコップとは何ですか?
そもそも、
あなたにとって、
お金とは何ですか?
あなたの、
お金に対するそういう考え方、
そういうスコップの持ち方で、
その庭は、
本当に美しくなりますか?