そんな私が、今はなぜか、片づけたくて、掃除したくて、整えたくてたまりません

整えたくて、たまらない。
それが、魂の叫びです。

魂が喜んでいる状態が、
あなたの、
本来の姿です。
整っているから、バスで寛げるのです。







整っているから、朝食を美味しく味わえるのです。

素敵な朝食が、素敵な1日を約束してくれます。
整っているから、格別のティーを味わえるのです。

整っているから、景色が生きるのです。





整っているから、時間を忘れられるのです。



整っているから、メニューの展開に期待が鳴り止まないのです。




整っているから、うたた寝が心地いいのです。



整っているから、鳥のさえずりが美しく響くのです。


整っているから、コーヒーの香りが引き立つのです。

整っているから、海風が清清しいのです。


整っているから、マッサージに身体が溶けるのです。





整っているから、夕暮れのひとときを味わえるのです。




整っているから、五感の全てを料理に集中できるのです。


整っているから、胸が高鳴るのです。

整っているから、官能をくすぐられるのです。

整っているから、酒の歳月に感動するのです。

グラスひとつ抜き取ってみても、整っているでしょう。
完璧なグラス、完璧な氷、完璧な空間があって初めて、
本物の酒が生まれるのです。
整っているから、花の香りが五感に届くのです。



整っているから、夜の静けさを味わえるのです。





整っているから、夜景が輝くのです。




整っているから、最高の眠りに安らげるのです。


整っているから、思考が透き通るのです。

こういった空間に、ホコリが許せると思いますか?
許せるはずもありません。
目に見えない場所にさえ、ホコリが積もっていないこと。
それが、超一流の最低条件です。
僅かでもホコリが積もった時点で、
「整い」 は失われるのです。
こういった空間で、
靴の脱ぎ捨てが許されると思いますか?

靴のカカトが揃っていない瞬間に、
全ての価値が失われるのです。

あなた自身が景色の一部であることを、忘れないでください。
整った空間の中に、今のあなたを写し入れてみてください。
あなたは今、
整った空間にふさわしい人間ですか?
あなたの格好。
あなたの所作。
あなたの言葉遣い。
あなたの佇まい。
あなたの香り。
あなたの思考。
あなたのオーラ。
あなたの心。
それらは、
整った空間に見合うものですか?

あなたが整っていないのなら、釣り合うはずもありません。
あなたが景色の一部である以上、
あなたが美しくなければ、全てが失われてしまうのです。
負組の心に、鳥のさえずりは聴こえてこないでしょう。
負組の五感は、
目の前の料理に集中することもなく散漫しているでしょう。
負組の部屋に、清清しい海風は舞い込んでこないでしょう。
負組の夜に、静けさは訪れないでしょう。
負組は、ワインの味を知らないでしょう。
なぜなら、整っていないからです。
整えたいとすら思っていないところが、完全に負組なのです。
整っていないのですから、何も味わえていないのです。
この地球を、
何ひとつ味わっていないということです。
この星に、生きていないのと同じことです。
本物を、何も味わっていないのですから。
要するに、
既に死んでいるのです。
あなたがトレードで何億と稼いだところで、
あなたが整っていないのなら、
何ひとつ味わえないのです。
そういう意味も含めて、
99.9%のトレーダーは、負組ということです。
完璧に整った空間、完璧に整った人間にしか、
アクアユニヴェルサリスの香りは似合わないのです。
水面に、景色の全てが映し出されています。

あなたが整っているか知りたければ、
あなたの部屋を見渡してみてください。
あなたの部屋が、あなたです。
あなたの部屋の隅々に、
あなたの心が滲み出ているのです。
いまこの瞬間・・・
あなたは99.9%の確率で、美しく整った空間に似合わない人間のはずです。
しかしそれは、大した問題ではありません。
いまのあなたに美しさが欠けていようと、
そんなことはどうでもいいのです。
何より大切なのは・・・
あなたがこれから、
完璧に美しく整った空間に似合う人間になれるよう、
努力できる人間なのか・・・
それとも、
努力することを放棄して、
何一つ整っていないエコノミーの世界に生き続けることを好む人間なのか・・・
あなたが今この瞬間、どちらの人間に属しているかです。
本当のあなたは、どちらの人間ですか?
あなたは今この瞬間、
美しく整った空間に似合っていなくていいのです。
その似合わなさが、
あなたの伸び代です。
未来のあなたが、
いま以上に美しくあればいいのです。
あなたが停滞もしくは退化した瞬間・・・
あなたの命はそこで終わりです。
今のあなたに似合わないような・・・
より高いステージの美しく整った空間に、
足を踏み入れてみてください。
学び続ける覚悟。
努力し続ける覚悟がないのなら、
エコノミーの世界で生き続けてください。
整った空間と、整っていない空間。
一体どちらの空間に、
地球の味わいが隠されているのか。
そして、
あなたは、
この地球をどのように味わいたい人間なのか。
じっくり、考えてみてください。
別に、考える必要はありません。
あなたの魂に、聞いてみればいいのです。
魂は、
嘘をつけませんから。
今この瞬間のあなたが、美しいかどうかではありません。
未来のあなたが、
美しく、なればいいのです。
そのために、
今この瞬間を、生き切れるかどうかです。
たとえ美しくなくとも・・・
美しさに向かって成長し続けているあなたの姿それ自体が、
既に美しいのです。
これからあなたに訪れる未来は、
あなたの想像力です。
あなたの想像が、あなたの世界を創造しているのです。
最高に美しい世界を、
しっかり想像できていますか?
想像が乏しいのなら・・・
それがあなたの器であり、
それがあなたの未来です。
全てを、
美しく整えてください。
ひとつの「点」に集う、超一流の成功者たち

先日は天候にも恵まれ、
最高の富士山を眺めることができました。
この富士山に、
2つのことを思いました。
その2つとは、
- 頂上でなければ、意味がない。
- 本物を求めれば、同じ場所へ辿り着く。
この2つです。

富士の高さは、
日本において標高1位であり、頂上です。
あなたは、
標高2位の山や、
3位の山を即答できますか?
きっと・・・
多くの方は即答できないでしょう。
それほどに、
1位と2位の差は大きいのです。
頂点に立たなければ、
何の意味もないのです。
2位の一流は、
もう少し頑張れば1位(超一流)になれるものと勘違いしています。
しかし現実は、
2位と100位の差より、
1位と2位の差のほうが、
比べ物にならないほど大きいのです・・・
2位の人間は、
頑張れば1位になれると思っているかもしれません。
ただ、
決して1位になれない次元が存在します。
そこに、
目に見えない壁が佇んでいるのです。
あなたは、
標高2位の山を即答できますか?
長さ2位の川を即答できますか?
1位は鮮明に記憶されますが、
2位は一瞬で忘れ去られます。
それほどに、
1位と2位は別格なのです。
あなたが、
相場の世界で上位1%を目指しても何の意味もないということです。
目指す覚悟を決めた以上は、
最低でも上位0.1%を目指してください。
上位1%に入って満足するようなら、
相場はやらないほうが、あなたの為です。
上位1%と、上位0.1%では、
それほどに世界が違うからです。
文字通り、
人間の全てにおいて桁違いの器が求められるのです。
本物を求めれば、同じ場所へ辿り着く。
どこまでも高くそびえ立つ山。
その登山ルートは、
いくつも用意されているかもしれません。
ルートの数だけ、
登山口が用意されているでしょう。
上を目指す人間は誰しも、
それぞれ異なる入口から、頂上を目指すのです。
ただ、
上にいけば上にいくほど・・・
それぞれの道は近づき、収束します。
「円すい」 の底円は、徐々に小さくなるのです。
その円は、最終的に・・・
点になります。
最終的には全ての道がつながり、
山頂では、全員が巡り合います。
巡り合うことに、なっているのです。
途中で諦めることなく、
上を目指し続けた人間だけが、
同じ場所で集うことになっているのです。
あなたが本当の成功を目指せば目指すほど、
今あなたの身の回りにいる友達は、次々とリタイアしていきます。
加速するあなたに、
ついて行けなくなるからです。
変化することを恐れるエコノミーは、
下のステージに留まっていることのほうが、心地良いのです。
成長するために努力し、
変化を恐れず、変化を愉しめるあなたは、
仲間を失い、
孤独になります。
孤独が辛いなら、
本当の成功は諦めてください。
みんなで仲良く、
誰でも登れるような低い山を登ってください。
本気で成功する覚悟が決まっているのなら、
高い山を目指してください。
途中は孤独かもしれませんが、
山頂に辿りついたとき・・・
同じように生きてきた人々の多さに愕然とするでしょう。
あなたのステージを上げれば上げるほど、
あなたと同じ高度にいる人間は少なくなります。
その代わり、
あなたのステージを上げれば上げるほど、
あなたと同じ高度には、
同じ波動を持った人間が集まっています。
そして、
最後まで登頂を諦めずに努力できた成功者は、
その全員が巡り合うことになっています。
最初の登山口は違えど、
頂上では同じ場所に集まるようにできているからです。
あなたが、
どんな山の頂上を目指しているかです。
あなたが目指している成功の次元によって、
あなたが最終的に巡り合う人々が変わります。
成功する覚悟があるのなら、
2位ではなく1位を目指してください。
一流ではなく、
超一流を目指してください。
あなたが一流を目指しているのなら、
あなたはどれだけ努力しても、
せいぜい一流の成功者としか巡り合えません。
超一流は違う世界で生きているので、
決して逢えないようにできているのです。
しかし、
あなたが超一流を目指しているのなら、
その努力を止めない限り、
超一流の成功者と巡り合うことになっています。
一流の人間は、
あなたが実際に触れ合ってみて、
「この人はすごい・・・」と思える人です。
超一流の人間は、
あなたが実際に触れ合ってみて、
内側から何かがフツフツと湧き上がってくるような人です。
凄いとかどうとか、
そういう理屈を抜きにして、
一緒にいるだけで、
あなたの魂がワクワクしてしまうような人です。
何が凄いのか理解できないけれど・・・
そのオーラが凄さを物語っているような人です。
何もかも捨て去って、
無条件についていきたいと思えるような人です。
あなたが超一流の成功を目指しているのなら、
あなたは超一流の人間に惹かれるはずです。
一流止まりの人間には、
魂が共鳴しないでしょう・・・
登る覚悟を決めたからには、
最高に美しい山を目指してください。

山が隆起するのは、
地殻変動のエネルギーが集中しているからです。
高い山には、
高いエネルギーが集中しているのです。
あなたが高次元の成功を目指せば、
高いエネルギーを持った人々に取り囲まれます。
あなたのエネルギーが足りなければ、
あなたは、
超一流の圧倒的なエネルギーに押し潰されます。
押し潰されないよう、
逆に、
エネルギーを与えるぐらいの覚悟で、
あなた自身のエネルギーを高めてください。
感謝の深さと、
信念の固さと、
想像の鮮明さ。
この3つが高次元でバランスすれば、
あなたのエネルギーは必然的に高まります。
そのとき。
あなたは初めて、
心の底から仲間と呼べる仲間と、
巡り合うでしょう。
この世の全ては、
本物を追い求めれば、
必ず同じ場所へ辿り着くようにできているのです。
その頂上。
成功者の誰もが辿り着く場所が、
美しさです。
美しい人間が生きている世界で、
あなたも美しく生きてください。
つい先日足を運んだフレンチが、丸の内の 「Monna Lisa」でした。
ここの料理長を務めているのは、
ジョエル・ロブションの愛弟子でもある河野透シェフです。
恵比寿ロブションの初代日本人シェフを任せられるほどの腕です。
モナリザの本店も恵比寿ですが、
丸ビル36Fからの絶景とともに愉しむフレンチも格別です。
天候条件が整えば、昼間は富士山も見えます。
昼も夜も愉しめる、最高のフレンチのひとつです。
あなたも是非一度、足を運んでみてください。
ただ、
くれぐれも忘れないでください。
店の価値は、店が決めるものではありません。
あなたの価値が、店の価値です。
あなたの美しさ、
あなたの品格、
あなたの立ち居振る舞いが・・・
テーブルの景色を決めているのです。

あなたを自発的に成長させてしまう料理。
それを創造できるのが、
超一流シェフです。

イクラの上に添えられたアクセントがまるで・・・
羽ばたいている蝶のように見えます。
料理の味わいは、
料理が決めるものではありません。
あなたの感性が、決めるものです。
美しい料理を味わう前に・・・
まず、
あなた自身が・・・
美しくなければならないのです。
天才が教えてくれた、砂の世界

人間の才能には、順位があります。
下から順番に、
非才
凡才
俗才
英才
秀才
異才
天才
奇才
鬼才
世間ではよく、
凡才、秀才、天才という言葉が遣われます。
そして、
秀才と天才の違いが比較されたりしています。
おそらく、世間の認識はこんな感じでしょう。
努力して頭が良いのが、秀才。
努力もせず、
生まれつき頭が良いのが、天才。
「才」とは、
生まれ持った「才能」です。
秀才は、
どれだけ努力しようと、
天才にはなれません。
もともと、
「才」を持って生まれているのです。
秀才はゴロゴロいますが、
天才は滅多にいません。
おそらくエコノミーは、
一生のうち天才と出逢う機会すらありません。
エコノミーが天才と崇めている人間は、
ただの秀才です。
念のため、
それぞれの「才」を説明します。
非才・・・才能がないこと
凡才・・・平凡な才能
俗才・・・世間の事情に長けた才能
英才・・・優れた才能
秀才・・・人並み以上に優れた才能
異才・・・際立って優れた才能
天才・・・生まれつき優れた才能
奇才・・・世にも稀な優れた才能
鬼才・・・人間離れした優れた才能
そして、
私が考えている人口分布は次のとおりです。
非才・・・約3%(2.799889%)
凡才・・・70%
俗才・・・20%
英才・・・5%
秀才・・・2%
異才・・・0.2%
天才・・・0.0001%
奇才・・・0.00001%
鬼才・・・0.000001%
秀才と天才は、
次元が違います。
天才と鬼才もまた、
次元が違います。
日本に1人しかいないレベルが、
鬼才です。
そして気をつけなければならないのは、
「才」は、
分野で変化するということです。
分野Aでは、非才な人間も、
分野Bでは、天才となり得ます。
あなたの「才」が最も発現される分野は、
99.99999%の確率で、
あなたが今、
努力している分野とは別の分野にあります。
非才のあなたも、
凡才のあなたも、
どこかで、
鬼才となり得るのです。
しかし同時に、
現在の分野をすぐに諦めたがる凡才は、
どこに行っても凡才です。
覚悟が、
足りていないのです。
あらゆる分野を漂流し続けるエコノミーは、
永遠に、
凡才か非才のまま命を終えます。
システムを次々と乗り換える負組トレーダーと、
同レベルです。
しかし凡才は、
覚悟を決めれば、
秀才になれます。
ただし、
秀才はどれだけ努力しても、
天才にはなれません。
持って、
生まれているからです。
そして相場は、
努力が微塵も通用しない世界です。
努力すればどうにかなるという常識が、
1ミリも通用しないのです。
相場の非才がどれだけ努力したところで、
せいぜい俗才か英才どまりです。
奇跡的に英才になれたところで、
全く稼げません。
上位0.1%より上の世界。
つまり、
異才を超えた次元から、相場の醍醐味を味わえるのです。
異才になれる自信と確信がないのなら、
今すぐ相場を辞めてください。
それが、あなたの為です。
念のため言っておきますが、
あなたがもし、
「異才」を超える自信があるというのなら、
その自信は99.8%以上の確率で、
過信です。
あなた以上に優秀で、
しかも、
あなた以上に努力している人間は、
相場の世界にゴロゴロいるのです。
あなたはきっと、
お金が欲しいからトレードしているのでしょうが・・・
お金を稼いで、何をしたいのですか?
あなたがもし、
真剣に「成功」を求めているのなら、
あなたはやがて、
「美しさ」を求めざるを得なくなります。
あらゆる判断基準が、
「美しさ」へと収束するのです。
愛情があるか否かという判断基準は、
愛に溢れていたほうが美しいからです。
成長できるか否かという判断基準は、
成長している自分の姿が美しいからです。
成長することを諦めている自分は、醜いでしょう?
そういう醜い魂は、
生きていないほうがマシです。
今の自分を変えたいと願うのは、
美しくありたいからです。
「美しさ」への欲求は、
自然と、
あなたのファッションにそのまま表れます。
あなたのファッションに、
あなたの全てが浮き出ているのです。
更に言えば、
あなたの美しさは、
美しい人間にしか解りません。
美しくない人間には、
あなたの美しさなど全く伝わらないのです。
エコノミーに、成功者の言葉は理解できません。
成功者にも、エコノミーの言葉は理解できません。
エコノミーに、成功者のファッションは理解できません。
成功者にも、エコノミーのファッションは理解できません。
同じ次元に生きている人間にしか、
互いの真価は理解できないのです。
人は、
自分のことを「解ってもらえる」世界を好みます。
あなたがどれだけ美しくなろうと、
誰からも「解ってもらえない」世界では生きれないでしょう
そういう意味で、
同じ波動の人間が集まるようにできているのです。
互いに、
互いを理解し合えることが、
心地良さであり、生きる喜びだからです。
私は幸運にも、
本当の天才と呼べる天才と、
これまで何人か出逢ってきました。
その中の1人。
あまりにも頭がキレすぎるあまり、
周囲から「化け物」と恐れられていた天才が、
私に薦めてくれた1冊があります。
10年ほど前に読んだ本ですが、
未だに、鮮明に記憶しています。
正確にいえば、
10年経った今、
ようやく、
あの天才の世界観が解り始めたのかもしれません。
その1冊とは、
阿部公房が著した「砂の女」です。

この作品は、
一体何が言いたいのか、最後まで解りません。
ただひたすら延々と、砂の世界が描写されます。
ところが最後の数ページで、
あなたに衝撃が走るでしょう・・・
ラストの僅か数ページで、
物語が急展開を見せるのです。
そして、
あなたがもし、
エコノミーの世界を飛び出す覚悟があるのなら・・・
嫌でも、
「砂の女」と同じ世界を体感することになります。
あなたの美しさは、
美しい人間にしか解らないのです。
砂の女。
今から50年も前に、
フランスの最優秀外国文学賞を受賞しています。
その時代から既に、
この世界観を高く評価できる器が醸成されていたフランスに、
文化の成熟を感じます。
否。
50年以上も前に、
この世界を描き切った安部公房が鬼才なのです・・・
この作品を十代の若造に紹介してくださったあの人もまた、
疑いようもなく天才です。
この世界を肌身で体感するために10年を要した私は、
どう考えても凡才以下なのです。
砂の女の、最後の数ページ。
これが、人間の世界です。
美しさを追い求めるあなたは、
やがて、
この世界観に辿り着くでしょう。
その真意を理解した上で、
エコノミーの世界を飛び出してください。
成長を追い求め、
美しくありたいと願い・・・
そのための努力を惜しまない、あなたの美しさ。
それが解る人間は、
成功者の世界に巨万といるのです。
私達が成長してから・・・だから数年後かな?
つくづく思います。
「人」も含めて、
それが、
その景色だと・・・

あなたは今、
美しい景色に似合う人間ですか?
あなたの心に、
尋ねてみてください。
きっと、
答えは1秒以内に返ってくるはずです。
成功者がそこに佇むと、
その景色の価値は引き上げられます。
エコノミーがそこに佇むと、
その景色の価値は引き下げられます。
あなたが好きなほうに生きてください。

私は別に、
あなたの思考の1つ1つを変えようとしているのではありません。
あなたの中の、
いちばん深いところにある核に働きかけているだけです。
核さえ変わってしまえば、
あなたの思考の全てが変わり始めるからです。
その核とは、
心のことではありません。
心よりも、
もっと深い場所にある核。
それが、
あなたの魂です。
それを、
「宇宙」と呼ぶ人もいるでしょうし、
「命」と呼ぶ人もいるでしょう。
あなたが好きなように、呼べばいいのです。
この記事を読みながら、
いま、
あなたが感じているのは、
私とあなたの宇宙です。
到底、
言葉にできるものではありません。
いま、
あなたが感じているもの。
あなたの中に、広がっているもの。
それが宇宙です。
私とあなたの宇宙であり、
ここに集う美しい仲間達の宇宙です。
宇宙というのは、
そういうことです。
人はみな、
それぞれの宇宙に生きているのです。
負組の宇宙で、この地球を味わうか。
勝組の宇宙で、この地球を味わうか。
それだけの違いです。

あなたの魂はいま、
どういう宇宙を彷徨っていますか?
あなたの心にはいま、
どんな宇宙が広がっていますか?
希望の光に溢れる宇宙か、
闇に閉ざされた絶望的な宇宙か。
あなたが一体どちらの宇宙に生きているのか、
それを簡単に見分ける方法があります。
未来に、
興奮し、
ワクワクし、
ゾクゾクし、
震えているか?
あなたの心はいつも、
あなたの魂に正直なのです。
魂は、嘘をつきません。
いいえ・・・
嘘をつけないのです。
なぜなら、
魂は、根源だからです。
あなたの最も深い場所にある根源は、
純粋な光です。
あなたはもともと・・・
光なのです。
人のためが、自分のため

今まで何も感じなかったところで、何かを感じる。
今まで何も思わなかったところで、何かを思う。
今まで涙しなかったところで、涙が溢れる。
それが、別人になったということです。
今まで気づけなかった、何よりも大切なこと。
その大切なことに気づく覚悟が決まり、
これまでの自分に、別れを告げたのです。
あなたが、
最も強く美しくなれるのは、
自分のために、成功する覚悟を決めたときではありません。
誰かのために、成功する覚悟を決めたときです。
その誰かとは、誰でもいいのです。
いまあなたの目の前に、大切な人がいるでしょう。
その人のために、あなたが成功するのです。
人への愛が、あなたを強くするのです。
あなたの夢がどれだけ崇高であっても、
自分を表現するために生きたところで、くだらないでしょう。
自分の願望を実現したいという欲求の次元。
その次元よりも遥かに高いところに、
「人のために」愛が溢れる次元があるのです。
どこまでいっても、人のためです。
人を大切にすることが、
自分を大切にするということです。
人を愛することが、
自分を愛するということです。
人のためが、自分のためなのです。
子供のためなら、
自分は犠牲になってもいいという親がいます。
宇宙は、犠牲など望んでいません。
犠牲の上に成り立つ成功など、有り得ないのです。
子供の成功を願うなら、親が成功すればいいのです。
あなたが美しく成功すれば、
あなたの子供も、その姿に学ぶでしょう。
何も、教える必要などないのです。
子供はなぜ、
家を掃除していたのでしょうか?
汚れているのが、不快だから。
掃除することが、気持良いから。
掃除したくて、たまらないから。
きっと、そういう理由しかないでしょう。
心が、美しく澄み切っています。
要するに、
掃除することに理由などいらないのです。
気持良いから、掃除する。
心が喜ぶから、掃除する。
理由はただ、それだけ。
それで十分なのです。
あなたは今、
どういう心で掃除していますか?
成功するために、掃除していませんか?
成功しようという心で掃除して、
成功などできるはずもないのです。
そんな濁った掃除は、無駄ということです。
何も求めない行動。
心がよろこぶ行動。
魂がよろこぶ行動。
そういう行動をとるには、
「我」を捨てるしかないのです。
神社には鏡が置かれています。
「カガミ」から我(ガ)を取り除いたとき、「カミ」が表れます。
カガミに、自分の姿が映し出されているのです。
世間ではいつも、神を探し求めているでしょう。
そんな神など、
永遠に見つかるはずもありません。
あなたが、神なのです。
あなたの未来を、
あなたの自由に、
想像し、
創造できるのです。
逆に言えば、
今この瞬間、
あなたが想像している未来が、
創造されるということです。
「神は創造主」とは、
あなたのことです。
だったら、
成功しているあなたを想像すればいいでしょう。
本当に、それだけのことです。
この世には、
想像力以上の力は存在しません。
あなたの未来は、
あなたが想像し、
あなたが創造してください。
そのリアルさ。
その鮮明さが、
あなたの真剣さです。
あなたの想像に、
鮮明さが欠けているのなら・・・
あなたは真剣ではないということです。
あなたが想像している未来は、
自分のためですか?
それとも、
人のためですか?
あなたが最も輝くのは、
あなたが人のために、命を使っているときです。
どこまでいっても、人のため。
それが、
究極的に・・・
自分のためです。
成功する覚悟を決めているのなら、
人のために、成功してください。
心の底から、人のために動けた瞬間。
そのとき初めて、
本当のあなたが開花するのです。
あなたの夢は、
自分のためですか?
それとも、
人のためですか?
あなたの使命は、
あなたのために成功することではないはずです。
人のために、成功すること。
結局それが、
あなたの成功です。
矛盾しているようで・・・
何も矛盾していないのです。
素敵・・・

あなたのことをよく知っている人から、
「変わったね」と言われたことはありますか?
あるいは、
あなたのことを全く知らない他人から、
「素敵ですね」と声を掛けられたことはありますか?
そういうことを毎日のように経験していなければ、
あなたは永遠に成功しません。
なぜなら、
変わることなく成功した成功者はいないからです。
そして、
素敵でない成功者もいないからです。
成功者は、
毎日のように変わり続け、別人になり続けています。
そして、
例外なく素敵です。
思わず目で追いたくなるほど見惚れてしまうのです・・・
別に、
恋している訳ではありません。
男の目を釘付けにしてしまうほどに、素敵な男。
女の目を釘付けにしてしまうほどに、素敵な女。
それが成功者です。
内側から、
美しさが滲み出ているのです。
辞書によれば、
「素敵」という言葉はこんなふうに定義されています。
【素敵】並外れて、印象がいいこと。
私にとって、
【素敵】とは、
美しさであり、
シンプルさであり、
洗練であり、
溜息がこぼれてしまうことであり、
嫌味のない華やかさであり、
透き通った輝きであり、
心を惹き付ける力であり、
それに触れた者の心に響く何かのことです。
その何かとは、
素敵なヒト、素敵なモノ、素敵なコトです。
自分の心に響くような、
素敵なヒト・モノ・コトに出逢ったとき、
思わず心を奪われてしまうのです・・・
きっと、
魂が共鳴しているのでしょう。
ヒトにも、
モノにも、
コトにも・・・
全てに魂が宿っているのです。
あなたは今、
本当の「成功」を目指して、
毎日のように変わり続けていると自覚しているかもしれませんが・・・
あなたのことを昔からよく知っている人から、
「変わったね」と言われないのであれば、
あなたは1ミリも変わっていないということです。
自分は変わり、成長しているのだと、
自分を誤魔化しているだけです。
周りの人間がみて、
「この人、変わった」と感じないのですから。
「変わったね」と声を掛けたくなるほど、
変わってください。
あなた以外の誰かの口から、
「あなた、変わったね」という言葉が発声されない限り、
あなたは全く変わっていないのです。
素敵さも、同じこと。
あなた以外の誰かの口から、
「素敵ですね」という言葉が発声されない限り、
あなたは全く素敵ではないのです。
あなたが素敵だと感じている自分の姿は、
「人並み」ということです。
あなたの姿が人並みを外れない限り、「素敵」ではないのです。
【素敵】並外れて、印象がいいこと。
ここでいう「姿」とは、
あなたのファッションであり、
あなたの立ち居振る舞いであり、
あなたの所作であり、
あなたの姿勢であり、
あなたの言葉であり、
あなたが身にまとっている空気であり、
あなたの清潔感であり、
あなたの瞳であり、
あなたの香りであり、
あなたを包み込んでいるオーラであり、
あなたの内側から溢れているエネルギーです。
それら全てをひっくるめて、
それがあなたの「姿」です。
姿が素敵な人間に触れた瞬間、
釘付けにされてしまうのです。
成功する覚悟を決めているのなら、
変わり続けてください。
人から「変わったね」と言われるほどに。
そして、
変わり続けていく過程の中で、
あなたは嫌でも洗練されます。
美しさを追求していく中で、
あなたの「姿」は素敵にならざるを得ないのです。
「変わったね」と言われるほど、
「素敵ですね」と言われるほど、
変わってください。
人から何も言われないようでは、
「まだまだ」ということです。
あなたが、素敵に変わったとき。
あなたに「変わったね」と声を掛けた友人は、
それ以上、あなたに付いていけないかもしれません。
あなたと成長速度が違い、
あなたの輝きが眩しすぎて、あなたに目も向けれないからです。
そういう人は、
次々とあなたのもとを去っていくでしょう。
去っていくというより・・・
あなたのほうから去って行けばいいのです。
あなたが成功することを決めた以上、
あなたはこれから、
99.9%の人々と縁を切らなければなりません。
それが辛いのなら、
これまでと同じ世界で生きてください。
あなたの本当の素敵さは、
あなたよりも成長が遅い人間には決して理解できないのです。
あなたが思い切ってその世界を飛び出せば、
今以上に素敵なヒト・モノ・コトとの出逢いが待ち受けています。
毎日が刺激的で・・・
愉しくて、
愉しくて、
どうしようもないのです。

今のステージに留まり続けて死ぬか、
死ぬ瞬間まで、ステージを上げ続けていくか。
どちらを選ぼうと、あなたの自由です。
99.9%の人間にとっては、
住み慣れた今のステージのほうが居心地がいいでしょう。
エコノミーは、
変化することに臆病なのです。
現状維持を好むのですから、
成長するはずもありません。
エコノミーの宇宙は、
既に静止しているのです。
私は、
こんな男性に素敵さを感じます。

隣にそっと寄り添っている女性にも、素敵さを感じます。
あるいは、
こんな空間にも素敵さを感じます。

私はミースやコルビジェの作品を愛しているので、
彼らの作品が空間と調和しているだけで、その空間に惹かれます。
彼らの作品は、
細部まで洗練が行き届いた空間にしか似合わないのです。
成功する覚悟が決まっているのなら、
素敵なヒト・モノ・コトに囲まれる生活をしてください。
エコノミーは、
モノに囲まれるという意味を勘違いします。
美しさの欠片も無いガラクタに囲まれて生活しているのです。
モノが溢れていればいいという訳ではありません。
無駄なものは、何1つとして許されないのです。
本当に必要な、
本当に素敵なヒト・モノ・コトだけを、
あなたの生活に織り込んでください。
気が付けば、
あなた自身が「素敵」になっているでしょう。
素敵な人と、
素敵な場所で、
素敵な時間を過ごしてください。
そして、
人並みを外れてください。
本物のフラワーアレンジメントをテーブルに添えただけで、
素敵な気分で過ごせるでしょう。
本物の香りを身にまとっただけで、
素敵な気分になるでしょう。
本物のシューズを履いただけで、
素敵な気分で歩けるでしょう。
あなたが自分の心をいたわることで、
あなたの人生は変わっていくのです。
あなたの人生は、
あなたの思考であり、
あなたの心です。
どれだけ、
素敵な気分で過ごせるかです。
あなたがあなたに、
素敵な時間を提供する。
それが、
自分を愛するということです。
あんなのはただのエジソンのできそこない

あなたのために書くことが、
自分のためになると信じ切って、
今この瞬間も、このブログを書いています。
あなたが変わり、
あなたが別人になり、
あなたがエコノミーと縁を切り、
あなたに本当の笑顔が宿ることが、
私にとっての幸せです。
人は、人を変えられない。
この言葉は、
真実だと思いますか?
それとも、
この言葉は嘘でしょうか?
人は、人を変えられない。
この言葉は、
究極的には、真実であり、
超究極的には、嘘です。
どこまでいっても、
最終的に人生を選択するのは「自分」です。
あなたが、
あなたの人生を選んでいるのです。
最悪につまらない人生だろうと、
最高に愉しい人生だろうと、
100%、あなたの責任です。
どこまでいっても、自分・・・
変わりたいのなら、自分で変わるしかありません。
他人から、
自分の人生を変えてもらうことなど出来ないのです。
そういう意味で、
「人は人を変えられない」という言葉は、
究極的にいえば真実です。
しかし私は、
「人は人を変えられる」と信じ切っています。
だから、書いているのです。
人が人を変えられないことが真実だとしたら?
ブログの存在意義が無くなります。
心が美しく、
真剣なあなたなら、
もしかすると、
変わってくれるかもしれない。
そういう微かな希望を込めて、
0.1%の確率に賭けて、
書いているだけです。
それで少しでも世界が善くなるのなら、
それが私の本望です。
そういうことに、
命を使っていきたいのです。
確かに、
人は人を変えられないかもしれません。
しかし、
人生を変えることのキッカケとなり、
その背中を後ろから押すことはできるかもしれません。
もし、
背中を押されなかったら?
あなたは、
自分で自分を変えるための勇気を振り絞れないかもしれません・・・
このブログと出逢い、
あなたの行動が「自発的に」変わり始めているのなら、
「人は人を変えられない」という言葉が
超究極的に嘘だということです。
人は、人を変えられるのです。
真剣なあなたは、
このブログを真剣に読んでくださり、
既に変わり始めているでしょう。
1年前を思い起こしてみてください。
このブログと出逢う前のあなたは、
今とは別人のはずです。
ただ、
あなたを変えたのは、
真剣なあなたです。
99.9%の読者には何も伝わらないのですから。
あなたが、あなたに感謝してください。
あなたが、
あなたを愛してください。
そして私も、
あなたの眩しい未来を想像しています。
輝きすぎていて、
眩しくて、
まっすぐ見れないのです。
それほどに、
あなたの未来は輝いています。

ふと、
加藤学さんからいただいたメッセージを思い出しました。
本物とは、
誰かを自発的に動かせてしまう力を持った「ヒト・モノ・コト」のことである。
「本物が好きです」という人に「本物ってなんですか?」と聞いて、
まともな答えが返ってきたことがなかったので、
経営者仲間と「本物」を明文化する合宿を行なって作った言葉です。
本物は必ず「誰かを自発的に動かせて」しまいます。
ルーブル美術館でモナリザを見て、
「うぉー!おれも頑張るぜ!!!」なんて、変な話ですが、
事実、そういう人は沢山います。
そして、モナリザを見たことがない人までもが、
モナリザを見たいとパリまで自発的に動いていきます。
逆に言えば、あなたがモナリザに何の興味もなければ、
モナリザはあなたにとっての本物ではありません。
そんな場合、
あんな絵はオレにとっては本物でも何でもない!と言い切ればいいのです。
たとえば、僕にとって松下幸之助は本物でもなんでもありません。
あんなのはただのエジソンのできそこないです。
そして、エジソンすら強欲の塊で、エジソンさえいなければ、他の誰かがそれを開発し、
特許の暴力を駆使せず、文明の発達は20年は早まったのではないかと思っています。
様々なシチュエーションで「本物ってなんですか?」っていう話になる場合があります。
そんな時には、
本物とは、誰かを自発的に動かせてしまう力を持った「ヒト・モノ・コト」 のことである。
と言い切れるようにしておくと良いと思います。
私は、
このブログが「本物」であるということを、
自分でいちばんよく分かっています。
そういう信念を持って、書き続けているからです。
悲しいことに、
本物であるが故に、
99.9%の読者は素通りしていくのですが・・・
そんなことはどうでもいいと思っています。
このブログは、
99.9%の読者様にとっては偽物でしょうし、
0.1%の読者様にとっては本物かもしれません。
このブログを読んで、
日々の心、思考、言葉、行動が変わり始めているのなら、
あなたにとって、
このブログが「本物」だということです。
私は、
99.9%のエコノミーが発する言葉には1ミリも耳を傾けません。
このブログが、
エコノミーからどのように評価されようと、
はっきり言って、どうでもいいのです。
ただ、
0.1%の確率で、
自ら行動を変えているあなたがいる・・・
だから、
世間を無視して書き続けるしかないのです。
あなたにとって、
「本物」とは何ですか?
この世の中で、
最も本物と思える「ヒト・モノ・コト」を1つずつ挙げてみてください。
本物の、ヒト・モノ・コト。
それら全てに、
共通しているものがあるはずです。
その、共通点。
それが、
あなたにとっての「本物」です。

本物には、
オーラが漂います。
包み隠そうとしたところで、
内側から滲み出てきてしまうのです。
あなたの中で、
「本物」を定義してください。
あなたの人生は、
あなたの責任ですから、
定義なんて何でもいいのです。
成長できるか、否か。
美しいか、否か。
自分を変えてしまう何かがあるか、否か。
笑顔が溢れてくるか、否か。
ワクワクするか、否か。
魂が喜んでいるか、否か。
本当に、何でもいいのです。
あなた自身で「本物」という言葉を定義し、
その定義に、
100%責任を持ってください。
あなた自身の定義を貫き、
あなたの人生を生きてください。
いつもしつこく言っていますが、
本物と思えるヒト・モノ・コトと出逢えたなら、
あなたのくだらない価値観も、
くだらない過去も、
くだらない定義も、
全て捨て去ってください。
定義を貫き、定義を捨て去る。
全く矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
成功するには、
それしかないのです。
この世の原動力は、
全て矛盾です。
要するに、
自身の定義を捨て去るという覚悟に、
100%責任を持ってしまえばいいのです。
自分は違うと思っていました

あなたは今、
本当の意味で、
成功する覚悟は決まっていますか?
無作為に1000人を抽出して、
その1000人の中で、
あなたの覚悟は1番ですか?
1000人もいれば、
自分より上の人間がいるかもしれない・・・
そんな風に自分を疑い、
心が揺らぐのなら、
成功は諦めてください。
その程度の覚悟では、
決して「成功」には辿り着けません。
そして、
成功する覚悟が決まっているあなたは、
こう信じているかもしれません。
自分だけは、違う。
自分だけは、特別だ。
あなたは本当に、
人と違いますか?
1000人いたならば断突1位で、
「自分」を持てていますか?
人に流され、
999人の側に属していませんか?
あなたがもし、
真剣に、
「自分は違う」と思っていたところで・・・
それは99.9%の確率で、
勘違いです。
1000人いれば、
「自分は違う」と信じ込んでいる人間はゴロゴロいるでしょう。
その結果として、
99.9%のエコノミーは全く成功していないのです。
信じ切っているのではなく、
信じ込んでいるだけです・・・
99.9%の人間は、
「未来に向かって生きている」と叫びながら、
くだらない過去にしがみついているのです。
先が見え切っているような、
つまらない延長線を、
死ぬまで延ばし続けているのです・・・
私は、
自分の線が何処へ延びるのか、全く見えません。
このまま加速してしまうと、
自分の想像を超える次元へ突入することが見えているからです。
想像を超えることが分かっているので、
今の自分には想像できないのです。
1つだけ明確に判っていることは、
その先の見えない未来が、
どうしようもなく愉しい未来だということです。
想像もつかないほど愉しいことが次々と沸き起こってくる未来が、
既に想像できているのです。
あなたは今、
先が見え切っているような延長線上に生きていますか?
それとも、
先が見えないほど、
ワクワクが止まらない未知線上に生きていますか?
あなたは今日、
昨日と同じあなたを生きませんでしたか?
あなたは今日、
生まれて初めての体験をしましたか?
生まれて初めての悩みを抱えましたか?
今日という1日において、
生まれて初めての「新しい何か」を体験していないのなら、
成功は諦めてください。
私は今日もまた、
昨日まで想像もしていなかったようなことで新たに悩み、
昨日まで想像もしていなかったようなことを新たに学び、
昨日まで想像もしていなかったような想像を展開しています。
毎日が、
昨日とは別人なのです。
あなたは今、
昨日とは別人ですか?
それとも、
今日のあなたは昨日のあなたと同じですか?
同じなら、
延長線上に生きているということです。
何も学ばない日があるということ自体、
命を無駄にしているのです。
「自分だけは違う」と信じ込んでいるのなら、
それは99.9%の確率で勘違いです。
あなた以上に真剣な人間は、
そこらじゅうにいます。
この世は全て、
「真剣さの違い」でしかないのです。
ちょうど10年ほど前に、
「冷静と情熱のあいだ」を読んでいました。
その冷静と情熱の記憶を思い起こすだけで、
フィレンツェの赤い屋根が脳裏を駆け巡ります。

芸術に満ち溢れた街の空気が、
余計に官能を撫でてくるのです。

このドゥオーモの頂点で、
どれほどの冷静と、
どれほどの情熱が織り交ざるのか・・・
あなたも是非、体感してみてください。
同じタイトルでRosso(江國香織著)とBlu(辻仁成著)の2冊が出版されていますので、
読むからにはどちらも読んでください。
両方読んで、初めて完結する作品です。
Rossoから先に読むことをお勧めします。
そして、
BGMには「to U」しかありません。
クライマックスでは、
この音楽を聴きながらストーリーを愉しんでみてください。
物語がクライマックスに差し掛かったとき。
私は、涙が止まりませんでした・・・
声入りは、こちらをお聴きください。
池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添ってるよ
私達がこんな風であれたら・・・
愛 愛 本当の意味は分からないけど
誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ
瓦礫の街のきれいな花 健気に咲くその一輪を
「枯らす事なく育てていける」と誰が言い切れる?
それでもこの小さな祈りを 空に向けて放ってみようよ
風船のように 色とりどりの祈り
愛 愛 それは強くて だけど脆くて
また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ
愛 愛 本当の意味は分からない
愛 愛 だけど強くて
雨の匂いも 風の匂いも あの頃とは違ってるけど
この胸に住むあなたは 今でも教えてくれる
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから 頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから あわてなくてもいいよ
10年ぶりにこの曲を聴きましたが、
思わずハッとしました。
歌詞のひとつひとつが、
このブログと全く同じことを言っているからです・・・
10年前から、
何一つ価値観が変わっていないことに驚かされます。
私の核は、
間違っていなかったのかもしれません。
貫いてこれたからこそ、
今があるのでしょう・・・
明鏡止水の心にこそ宿る水鳥の命。
光と影と、表と裏。
何かを通して、想いは繋がっていく。
このブログを通して、私はあなたと繋がっている。
枯らさないと「言い切れる」かどうかは、
信じ切れるかどうか。
愛にあるのは、強さと脆さの二面性。
それは、究極のバランス・・・
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれる
過去は、過去。
過去ではなく、未来へ向かって生きれているか?
雨の匂い。
風の匂い。
五感の全てをつかって、
地球を味わい尽くせているか?
あなたは今、
光も影も、
どちらも同じように愛せていますか?
影を見つめない限り、
光は見えません。
光だけを愛したところで、
それは偽物です。
あなたの影も、
すべて含み込んで、それがあなたです。
あなたの光。
あなたの影。
文字通り、全てを愛してください。
あなたの影にこそ、
本当の美しさが宿っているのです。
あなたの醜い部分が、あなたの美しさです。
光と影の狭間。
表でもない、裏でもない、側面。
その側面を描いたのが、
「冷静と情熱のあいだ」なのかもしれません。
だからこれほどに、
この音楽がマッチするのでしょう。
ところでイタリアは、
芸術そのものであり、
石の文化、歴史、技術が息づく国です。

街中の至る所に、
何の違和感もなく、
彫刻が溶け込んでいます。

それはもはや、
建築ではなく、
芸術です。

建築という領域を、
易々と超えているのです。

とても、
石とは思えない質感。
そのやわらかさに言葉を失います・・・

それと同時に、
作者の観察力、
描写力、
集中力、
そういった魂の在り方に、
人間という存在の境地を感じ取るのです。

それは、車を見ても明らかでしょう。

イタリア車に共通しているのは、
芸術性であり、
彫刻性です。
それはもはや、
車ではなく、
彫刻なのです。

彫刻は、
足し合わせてデザインしていくものではありません。
もともと在る「塊」から、
無駄を削ぎ落としながらデザインしていくものです。
0の状態から1つ1つ積み重ねて20にするのではなく、
100の状態から1つ1つ削り取って20にするのです。
プロセスが、
まったく逆なのです。
彫刻のような美しさは、
足し合わせのデザインからは決して生まれません。

無駄を無くしていくプロセスにこそ、
「美」が宿るのです。
日常生活に彫刻が溶け込んでいるイタリアだからこそ、
これほどの芸当が成り立つのです。
石の文化・歴史を有さない諸外国には、
決して真似できない領域です。
あなたのシステムは大丈夫ですか?
無駄なテクニカルを足し合わせて、
醜いシステムになっていませんか?
99.9%のトレーダーは、
醜いシステムを自我自賛しているのです。
足すのではなく、
削ぎ落としてください。
どこまでも、
これでもかというほど、
無駄を削るのです。

あなたのシステムは、
どういう過程を辿って生まれたのでしょうか?
そのプロセスを、
もう一度、見直してみてください。
あなたのシステムを見れば、
あなたがどういうプロセスを辿ってきたトレーダーなのか、
一瞬で判ってしまいます。
美しいかどうか。
そういう判断基準を、
常に忘れないでください。
そして、
美は、
細部にこそ宿るのです。
はたして、
あなたのシステムは、
芸術と呼べますか?
足し算を好むエコノミーの部屋は、
無駄なガラクタで溢れていますが・・・
引き算を好む成功者の部屋には、
無駄が見当たらないのです・・・
もう、自分が終わった

あなたにとって、「システム」とは何ですか?
私にとって、
「システム」とは「選択」です。
「選択」の集合体が、システムです。
小さな「選択」が積み重なることで、「結果」が生まれます。
トレードシステムは所詮、上がるか下がるかの2択でしょう。
上か、下か。
たったそれだけの、「選択」です。
ところが・・・
95%のシステムトレーダーは負けるべくして負け、
5%のシステムトレーダーは勝つべくして勝つのです。
1つ1つの「選択」は、
明確な判断基準によって決められます。
したがって、
同じ判断基準に基づく選択は常に、「最終的に」同じ結果を導きます。
途中経過はどうあれ、
あなたのトレードシステムはやがて、必ず同じ結果に辿り着くのです。
要するに、
95%以上の確率で、
あなたのシステムはやがて負ける運命にあることが、
「既に」決まっているということです。
あなたのシステムが勝つか負けるかは、
選択の「判断基準」が、正しいか否かです。
多くのシステムトレーダーは、
何らかのテクニカルを判断基準に据えているでしょうから、
負けて当然です。
ところで「システム」といえば、
あなたの「人生」もまた、「システム」そのものです。
あなたがこれまで何十年も積み重ねてきた、
些細な選択。
その結果が、今のあなたです。
それらの選択は、明確な判断基準に基づいています。
あなたはきっと・・・
その時々の状況に応じて、最も適切な「選択」を選べるよう、
その判断基準を臨機応変に変化させてきたと思っているかもしれませんが、
それは勘違いです。
あなたがこれまで何十年と優先し続けてきた「判断基準」は、
全く、変わっていないんですよ。
あなたの判断基準は常に、固定されてきたのです。
あなたの中で、何十年も変わらないもの。
それが、あなたの核です。
あなたの核が、これまでの「選択」を決めてきたのです。
それで、
あなたは今、成功していますか?
成功とは、富裕層の世界にいれるかどうかです。
99.9%の人は富裕層という意味を誤解するでしょうが・・・
あなたは今、自分が富裕層だという自覚がありますか?
成功していないと感じるのなら、
あなたの核が、間違っていたということです。
本当に、
成功する覚悟があるのなら・・・
あなたの核を、変えてください。
あなたがいま、40歳だとします。
40年もの選択を続けて成功していないのなら、
判断基準の「核」が間違っていたということです。
核が間違っているのなら、
あなたがどれだけ気持ちを入れ替えたところで、
これから先も成功することはあり得ません。
核を変える気がないのなら、
今のあなたの延長線上を、これからも生きていくだけです。
今のあなたを延長して、あなたは成功していますか?
はっきりと、
鮮明に、
成功している映像が見えますか?
見えないのなら、絶望的ですが、
それは同時に、希望でもあります。
核を変えてしまえばいいからです。
あなたの「核」が変われば、あなたの「判断基準」が変わります。
あなたの「判断基準」が変われば、あなたの「選択」が変わります。
あなたの「選択」が変われば、あなたの「システム」が変わります。
あなたの「システム」とは、あなたの「人生」です。
あなたの核が、あなたの人生を決めるのです。
あなたが今、
成功していないと感じるのなら・・・
今すぐ核を捨ててください。
核を捨てる勇気がないのなら、
いつまでも、自分の過去にしがみついてください。
そして数十年後も、
今と同じように成功していない自分を生きてください。
残念ながら、99.9%の人々は過去にしがみつきます。
いま成功していないと自覚していながら、
いまの延長線上に生きることを好むようにプログラムされているのです。
自分を否定する必要なんてないと言って、
エコノミー同士で傷を舐め合っているのです。
負組の家には、
お決まりのようにトロフィーや賞状が飾られています。
過去の栄光を、いつまでも引きずっている証拠です。
その栄光がどれだけ輝いていようと、
それは所詮、過去のできごと。
あなたの過去が輝いていたところで、
なにか愉しいですか?
この星に、
いま在るのは、いま(現在)だけです。
「過去」に向かって生きるか、「未来」に向かって生きるか。
たったそれだけの違いです。
あなたは今、どちらに向かって生きていますか?
そして、
今の自分に満足していますか?
あなたは99.9%の確率で、
今のあなたに満足していないはずです。
なぜなら、
成功者と呼べる人は0.1%もいないからです。
今のあなたに満足していないのなら、核を変えてください。
過去の栄光は、全て捨て去ってください。
あなたにはきっと、自分の得意分野があるでしょう。
そして世間では、その得意分野を活かすべきだと言うかもしれません。
あなたがその分野をどれだけ伸ばしたところで、
あなたは成功しません。
なぜなら、
今この瞬間、
成功していないからです。
そしてあなたには、
あなただけの拘りや、好きなものがあり、
それらに囲まれながら生きてきたでしょう。
あなたの好みや拘りも、成功には全くつながらないのです。
成功者からみたとき、
あなたの「拘り」はどのように映るでしょうか?
この人は、
なんて無駄に生きているんだろう・・・
きっと、そう思います。
くだらない拘りや、くだらない好みも、
今すぐ捨ててください。
何十年と拘り続けた結果、
成功していないのですから。
その「拘り」が、
間違っていたということです。
全てを捨て去ったときに、残るもの
それが感謝と愛です。
自分以外の誰か。
あなたの目の前にいる人を、大切にしたいと思える心。
その心だけ、持ち続けてください。
そして、
過去ではなく、未来に向かって生きてください。
今の自分が終わっていることに気付けた。
あなたはその時点で、大きな1歩を踏み出しています。
今の自分が終わっていることに気付けなかったら、どうなるか?
死ぬまで、
「終わってる自分」を生き続けていたことになります。
全てを捨て、
ゼロの状態から何を拾っていくか。
その選択は、
全てあなたの自由です。
その選択の判断基準は、
あなたの「核」に委ねられているのです。
核を変えることに、勇気など必要ありません。
未来に向かって生きることで、
あなたの人生は更に愉しくなります。
最高にエキサイティングな・・・
愉しい未来が、待ち受けているのです。
過去と、未来。
あなたにとって、
どちらが大切ですか?
あなたはこれから、
自分の意志で、
自由に、
未来を選べるのです。
このワクワク。
このゾクゾクが・・・
鳴り止むはずもありません。
引き返すなら、今
私が小学6年の頃の恩師を思い出しました。
朝の登校が完了し、
教室へ入ると、室内がザワついていました。
黒板に、大きな文字でこう書かれていました。
「気付いていますか?」
明らかに、担任の先生が書いた文字でしたが、
先生は既に朝の職員会議に出ており、その場にはいませんでした。
私たちへの置き手紙だったのです。
季節は、3月。
寒い冬を超え、少しずつ、春の陽気を感じ始める季節でした。
そして、卒業式を数日後に控えた日でもありました。
「気付いていますか?」という言葉の意味が、
私たちには理解できませんでした。
とても厳しく恐い先生だったので、
先生が戻って来たら怒られるかもしれないと、全員でビクビクしていました。
何か「気付けていないもの」があるのではないかと、
生徒全員で周囲を見渡しましたが、
私たちが気付けたのは、「教室の汚さ」だけでした。
教室の乱れに気付けていないことを、怒られるに違いない。
そう思い、全員で慌てて教室中を掃除しました。
先生が戻ってくるまでに、完璧に仕上げたのです。
恐怖しながら、先生の戻りを待ちました。
みな手に汗握り、ガタガタ震えていたはずです。
先生が戻ってくるなり・・・
黒板の文字を指して、こう言いました。
「この意味、分かりましたか?」
私たちはビクビクしながら、
「教室が汚れていました」と答えました。
すると、先生はこう続けました。
「校庭を見て、何も気付きませんか?」
「登校する時、何も気付きませんでしたか?」
私たちはみな、キョトンとしました。
尚更、意味がわからなくなったのです。
教室は静まり返り、しばらく沈黙が続きました。
そして、
しばらくの間を置いて、先生はこう言いました。
「桜が、咲いているでしょう。」
「そのことに、気付いていましたか?」
私たちは、ハッとしました。
この日を待ち詫びていたかのように、
桜のツボミ達が、ポツポツと開き始めていたのです。

校庭には既に、「春」が訪れていたのです。
小学校を卒業することや、
中学校へ進学することにばかり意識が傾き・・・
周りの小さな変化に気付ける「余裕」を失っていることに、
気付かせてくれたのです。
これは、ほんの些細な一例です。
世の中を見渡せば、多くの人が「余裕」を失っているようにしか見えません。
エコノミーはいつも「何か」に追われ、
大切なものを見失っているのです。
そして彼らに共通しているのは、
「お金がない」という経済的余裕のなさが、
「心の余裕」を蝕んでいるということです。
貧乏の恐さとは、財布が貧しくなることではありません。
心が貧しくなることです。
心の貧しさが、世界から「色」を消し去るのです。

心に余裕がない人間は、桜を味わうことさえできないでしょう。
経済の余裕が、心の余裕につながると思っている時点で、負組です。
負組は、お金のことで頭がいっぱいです。
そして、そういうエコノミーには時間もありません。
桜のツボミと同じ気持ちになる時間など、
あるはずもないのです。
お金が「心のゆとり」につながると思っている人間には、
経済的余裕は永遠に訪れません。
お金の余裕と、心の余裕は無関係なのです。
あなたには今、心の余裕がありますか?
この星を、
しっかり味わっていますか?
風を感じる。
太陽の温もりを感じる。
鳥のさえずりが聴こえる。
土の匂いがする。
雨を感じる。
それだけで、幸せなのです。
風を感じることに、お金がいりますか?
あなたは既に、全て与えられているのです。
人は誰しも、「先生」と「師」をもっています。
あなたにとって、「先生」とはどういう存在ですか?
そして、「師」とはどういう存在ですか?
先生と、師。
この2つの言葉を、どのように遣い分けていますか?
「先生」と「師」の違いとは、何ですか?
教えてくれるものが、違います。
先生は「技術」を教えてくれます。
そして、
師は「心」を教えてくれます。
心とはつまり、「生き方」です。
あなたに今、「先生」や「師」はいますか?
あなたがサラリーマンなら、
職場の上司は「先生」でしょう。
職場で求められる技術を教えてくれるはずです。
中には、職場の上司が「師」という人もいるかもしれません。
経営者として会社のトップにいる方も、
別の場所に「先生」や「師」の存在があるでしょう。
あなたが様々な技術を身に付けようと思うなら、
先生は何人も必要です。
船舶免許とヘリ免許では、教えてくれる先生が違います。
その道のプロが必要になるのです。
「先生」は何人も必要ですが、「師」は1人で十分です。
なぜなら、心の核は1つしかないからです。
何をするにしても、同じ心へ辿り着くのです。
あなたの心が美しければ、
あなたがどの道へ進もうと、あなたはやがて美しい場所へ辿り着くのです。
先生は、どこにでもいますが、
師は、なかなかいません。
あなたが、上位0.1%に入る覚悟があるのなら、
少なくとも上位0.1%の世界にいる人間を師にしてください。
99.9%の確率で、
そういう師と巡り合うことはないでしょう。
しかしこの宇宙は、あなた自身が波動を高めれば、
いとも簡単に師と巡り合えるようにできています。
あなたにはいま、「師」と呼べる人がいますか?
あなたが勝組トレーダーになりたいのなら、
トレードの先生から学べば十分です。
トレードで勝ち続けることなど、おそろしく簡単なのですか。
ただ・・・
トレードで勝ち続けることが、成功ではありません。
あなたがいくら大金を手にしたところで、
心が間違っているのなら、成功するはずもないのです。
実際、
勝組トレーダーの殆どは、負組です。
心が、美しくないのです。
トレードで勝組入りして、成功したものと勘違いしているのです。
要するに、
生き方で失敗しているのです。
あなたは既に、トレードで成功する覚悟を決めているかもしれません。
あなたにとって、「成功」とは何ですか?
本当に、成功する覚悟は決まっていますか?
相場という世界は、この世でもっとも厳しい世界です。
なぜなら、相場は人間そのものだからです。
引き返すなら、今です。
覚悟するのも、今です。
負組トレーダーの覚悟は、おそろしく中途半端です。
生温すぎて、かける言葉もありません。
生半可な覚悟は、覚悟とはいいません。
相場の世界をなめているのです。
覚悟のない負組トレーダーは、
かといって、途中で引き返すこともしません。
中途半端な覚悟で、相場に挑み続け、
延々と、お金と時間を失い続けているのです。
トレードに限った話ではありません。
そういう覚悟のない心が、
私生活の全てに露呈し、
人生においてもお金と時間を失い続けているのです。
覚悟を決めるなら、いま、決めるしかないのです。
決めれないなら、いま、引き返すことです。
覚悟なしに挑んだところで、何もあなたの為になりません。
このブログは、
覚悟が決まっているトレーダーのために書いています。
覚悟のないトレーダーが読んだところで、何の意味もないのです。
覚悟できるトレーダーだけ、ついてきてください。
相場を舞台に、全員で、勝ちにいきましょう。
勝つのではなく、成功するのです。
このブログは、
私の魂と、あなたの魂の対話です。
魂と魂が、触れ合っているのです。
魂も波動を出しています。
私とあなたの波動が一致したとき、
あなたの魂は震え、私の魂も震えるのです。

もう一度、繰り返します。
相場を引き返すなら、今です。
ここで、
引き返すべきか迷っているようなら、
その時点で既に、あなたの覚悟なんて決まっていないということです。
後ろを、
振り返ろうとも思わない。
後ろに、
後退しようとも思わない。
「引き返す」という言葉など、
もともと選択肢にすら無い。
それが、覚悟です。