中立に踊らされる負組トレーダーたち
二階の書斎からの眺めです。

来る日も来る日も、
さも当然のように、太陽が昇っています。
なぜ、
これほどに神々しいのでしょうか・・・
その昇る姿を見つめていると、
「無音」という音が聴こえてきます。
静寂に包まれ、宇宙とつながるのです。
想像を遥かに超えている宇宙に愕然とすると同時に、
自分自身もまた宇宙の一部であることに気付かされます。
自分と宇宙がひとつになった瞬間、
世界から音が消え去り、
優しさに満ち溢れた静寂に包まれるのです。
太陽が姿を現した次の瞬間、
太陽の熱を温もりとして肌身に感じます。
9兆km離れた彼方で放たれたエネルギーが
8分間の時を経て地球に到達し、
自分の体温として取り込まれているという事実に、言葉を失うのです・・・
そして、太陽は常に中立です。
ただただ、
絶対的な中立として存在しています。
こうした絶対的中立の存在によって、
必ず陰と陽の二面性が姿を現します。
太陽に例えれば、光は陽、影は陰です。
両者は単独で存在することはできません。
光があるから影ができ、
闇があるから光の存在に気付けるのです。
果たして、
真昼の空に散らばっている無数の星々を、
何%の人が意識しているでしょうか?
光と闇、両者は常に2つで1つ、決して切り離すことはできません。
生があるから死があるのと同じことです。
ところが人間は、
こうした絶対的中立に対して自分の感情を持ち込み、
歪んだ解釈を始めます。
雪国にいれば太陽が愛しく、砂漠にいれば太陽を憎みます。
太陽には善意も無ければ悪意もありません。
本来、善悪を持たないはずの中立に対して、
人間の自分勝手な解釈が善悪を与えているに過ぎないのです。
日の出を見つめながら、
相場もこの太陽と同じであることに気付かされます。
相場もまた、絶対的に中立です。
相場は敵でもなければ、味方でもないのです。
逆に言えば、トレーダー自身の解釈次第で、
相場は敵にもなり、味方にもなるということです。
私の場合、
相場に対して敵味方という考え自体持ち込んでいません。
中立的存在として利益を与えてくれる以上、
相場という存在に対する「感謝」があるだけです。
あなたは、
相場に対してどのような解釈を与えていますか?
あなたのロングポジションは、あなたの勝手であり、
あなたのショートポジションもまた、あなたの勝手です。
相場からみて、
あなたのポジションなど、どうでもいいのです。
相場を敵として認識し始めたとき、トレードが苦しくなるでしょう。
確かに、他のトレーダーと利益を奪い合っているのは事実です。
このとき、敵はあくまで自分以外のトレーダーであって、
相場が敵なのではありません。
相場は単に、人間という生き物です。
相場には悪意もなければ、善意もありません。
連勝があれば、同様に連敗もあります。
絶不調を決して避けれないように、
絶好調も決して避けることができないのです。
そうして相場を俯瞰できるようになったとき、
あなたの道は自然と示されます。
その道とは、
連勝も連敗も、全ての事象を等しく受け入れて、
感情を捨て、確率論的に相場と向き合うということです。
その次の段階で、
実は感情を捨てる努力すら必要ないということに気付かされるでしょう。
なぜなら、
トレードをする前から、最終的に勝てることが分かり切っているからです。
最初から、勝負がついている勝負。
退屈で、退屈で、退屈で・・・
どうしようもないのです。
鼻から結果がみえているゲームは、
つまらないでしょう?
何の興奮も味わえないマネーゲーム。
それが、
本当の投資というものです。
最初から結果が分かり切っているトレードを仕掛けるとき、
そこには何の感情も伴いません。
感情がない以上、
感情を捨てることすらできないのです。
相場に陰と陽があるとすれば、
9割の敗者が陰であり、1割の勝者が陽でしょうか。
実際には、上位10%の内、
微々たる利益しか出せていないトレーダーも多数含まれます。
上位10%に入れたところで、大した利益にはなりません。
その程度なら、やらないほうがマシです。
上位10%に入れて喜んでいるトレーダーのことを、負組というのです。
相場に挑む覚悟があるのなら、
少なくとも上位0.1%に入る覚悟を決めて、臨んでください。
念のため言っておきますが、
あなたがどれだけ優秀で、どれだけ努力家であろうと、
あなたは99.9%の確率で、この次元には到達できません。
自分の魂と対話し、
ある一線を超えない限り、気づけない領域があるのです・・・
この意味さえも、解る人にしか解らないでしょう。
もはや、
書く意味がないことさえ分かっていながら、
書き続けるしかないのです・・・
0.1%の光が、あなたを照らしますように。