人のためが、自分のため

今まで何も感じなかったところで、何かを感じる。
今まで何も思わなかったところで、何かを思う。
今まで涙しなかったところで、涙が溢れる。
それが、別人になったということです。
今まで気づけなかった、何よりも大切なこと。
その大切なことに気づく覚悟が決まり、
これまでの自分に、別れを告げたのです。
あなたが、
最も強く美しくなれるのは、
自分のために、成功する覚悟を決めたときではありません。
誰かのために、成功する覚悟を決めたときです。
その誰かとは、誰でもいいのです。
いまあなたの目の前に、大切な人がいるでしょう。
その人のために、あなたが成功するのです。
人への愛が、あなたを強くするのです。
あなたの夢がどれだけ崇高であっても、
自分を表現するために生きたところで、くだらないでしょう。
自分の願望を実現したいという欲求の次元。
その次元よりも遥かに高いところに、
「人のために」愛が溢れる次元があるのです。
どこまでいっても、人のためです。
人を大切にすることが、
自分を大切にするということです。
人を愛することが、
自分を愛するということです。
人のためが、自分のためなのです。
子供のためなら、
自分は犠牲になってもいいという親がいます。
宇宙は、犠牲など望んでいません。
犠牲の上に成り立つ成功など、有り得ないのです。
子供の成功を願うなら、親が成功すればいいのです。
あなたが美しく成功すれば、
あなたの子供も、その姿に学ぶでしょう。
何も、教える必要などないのです。
子供はなぜ、
家を掃除していたのでしょうか?
汚れているのが、不快だから。
掃除することが、気持良いから。
掃除したくて、たまらないから。
きっと、そういう理由しかないでしょう。
心が、美しく澄み切っています。
要するに、
掃除することに理由などいらないのです。
気持良いから、掃除する。
心が喜ぶから、掃除する。
理由はただ、それだけ。
それで十分なのです。
あなたは今、
どういう心で掃除していますか?
成功するために、掃除していませんか?
成功しようという心で掃除して、
成功などできるはずもないのです。
そんな濁った掃除は、無駄ということです。
何も求めない行動。
心がよろこぶ行動。
魂がよろこぶ行動。
そういう行動をとるには、
「我」を捨てるしかないのです。
神社には鏡が置かれています。
「カガミ」から我(ガ)を取り除いたとき、「カミ」が表れます。
カガミに、自分の姿が映し出されているのです。
世間ではいつも、神を探し求めているでしょう。
そんな神など、
永遠に見つかるはずもありません。
あなたが、神なのです。
あなたの未来を、
あなたの自由に、
想像し、
創造できるのです。
逆に言えば、
今この瞬間、
あなたが想像している未来が、
創造されるということです。
「神は創造主」とは、
あなたのことです。
だったら、
成功しているあなたを想像すればいいでしょう。
本当に、それだけのことです。
この世には、
想像力以上の力は存在しません。
あなたの未来は、
あなたが想像し、
あなたが創造してください。
そのリアルさ。
その鮮明さが、
あなたの真剣さです。
あなたの想像に、
鮮明さが欠けているのなら・・・
あなたは真剣ではないということです。
あなたが想像している未来は、
自分のためですか?
それとも、
人のためですか?
あなたが最も輝くのは、
あなたが人のために、命を使っているときです。
どこまでいっても、人のため。
それが、
究極的に・・・
自分のためです。
成功する覚悟を決めているのなら、
人のために、成功してください。
心の底から、人のために動けた瞬間。
そのとき初めて、
本当のあなたが開花するのです。
あなたの夢は、
自分のためですか?
それとも、
人のためですか?
あなたの使命は、
あなたのために成功することではないはずです。
人のために、成功すること。
結局それが、
あなたの成功です。
矛盾しているようで・・・
何も矛盾していないのです。