引き返すなら、今
私が小学6年の頃の恩師を思い出しました。
朝の登校が完了し、
教室へ入ると、室内がザワついていました。
黒板に、大きな文字でこう書かれていました。
「気付いていますか?」
明らかに、担任の先生が書いた文字でしたが、
先生は既に朝の職員会議に出ており、その場にはいませんでした。
私たちへの置き手紙だったのです。
季節は、3月。
寒い冬を超え、少しずつ、春の陽気を感じ始める季節でした。
そして、卒業式を数日後に控えた日でもありました。
「気付いていますか?」という言葉の意味が、
私たちには理解できませんでした。
とても厳しく恐い先生だったので、
先生が戻って来たら怒られるかもしれないと、全員でビクビクしていました。
何か「気付けていないもの」があるのではないかと、
生徒全員で周囲を見渡しましたが、
私たちが気付けたのは、「教室の汚さ」だけでした。
教室の乱れに気付けていないことを、怒られるに違いない。
そう思い、全員で慌てて教室中を掃除しました。
先生が戻ってくるまでに、完璧に仕上げたのです。
恐怖しながら、先生の戻りを待ちました。
みな手に汗握り、ガタガタ震えていたはずです。
先生が戻ってくるなり・・・
黒板の文字を指して、こう言いました。
「この意味、分かりましたか?」
私たちはビクビクしながら、
「教室が汚れていました」と答えました。
すると、先生はこう続けました。
「校庭を見て、何も気付きませんか?」
「登校する時、何も気付きませんでしたか?」
私たちはみな、キョトンとしました。
尚更、意味がわからなくなったのです。
教室は静まり返り、しばらく沈黙が続きました。
そして、
しばらくの間を置いて、先生はこう言いました。
「桜が、咲いているでしょう。」
「そのことに、気付いていましたか?」
私たちは、ハッとしました。
この日を待ち詫びていたかのように、
桜のツボミ達が、ポツポツと開き始めていたのです。

校庭には既に、「春」が訪れていたのです。
小学校を卒業することや、
中学校へ進学することにばかり意識が傾き・・・
周りの小さな変化に気付ける「余裕」を失っていることに、
気付かせてくれたのです。
これは、ほんの些細な一例です。
世の中を見渡せば、多くの人が「余裕」を失っているようにしか見えません。
エコノミーはいつも「何か」に追われ、
大切なものを見失っているのです。
そして彼らに共通しているのは、
「お金がない」という経済的余裕のなさが、
「心の余裕」を蝕んでいるということです。
貧乏の恐さとは、財布が貧しくなることではありません。
心が貧しくなることです。
心の貧しさが、世界から「色」を消し去るのです。

心に余裕がない人間は、桜を味わうことさえできないでしょう。
経済の余裕が、心の余裕につながると思っている時点で、負組です。
負組は、お金のことで頭がいっぱいです。
そして、そういうエコノミーには時間もありません。
桜のツボミと同じ気持ちになる時間など、
あるはずもないのです。
お金が「心のゆとり」につながると思っている人間には、
経済的余裕は永遠に訪れません。
お金の余裕と、心の余裕は無関係なのです。
あなたには今、心の余裕がありますか?
この星を、
しっかり味わっていますか?
風を感じる。
太陽の温もりを感じる。
鳥のさえずりが聴こえる。
土の匂いがする。
雨を感じる。
それだけで、幸せなのです。
風を感じることに、お金がいりますか?
あなたは既に、全て与えられているのです。
人は誰しも、「先生」と「師」をもっています。
あなたにとって、「先生」とはどういう存在ですか?
そして、「師」とはどういう存在ですか?
先生と、師。
この2つの言葉を、どのように遣い分けていますか?
「先生」と「師」の違いとは、何ですか?
教えてくれるものが、違います。
先生は「技術」を教えてくれます。
そして、
師は「心」を教えてくれます。
心とはつまり、「生き方」です。
あなたに今、「先生」や「師」はいますか?
あなたがサラリーマンなら、
職場の上司は「先生」でしょう。
職場で求められる技術を教えてくれるはずです。
中には、職場の上司が「師」という人もいるかもしれません。
経営者として会社のトップにいる方も、
別の場所に「先生」や「師」の存在があるでしょう。
あなたが様々な技術を身に付けようと思うなら、
先生は何人も必要です。
船舶免許とヘリ免許では、教えてくれる先生が違います。
その道のプロが必要になるのです。
「先生」は何人も必要ですが、「師」は1人で十分です。
なぜなら、心の核は1つしかないからです。
何をするにしても、同じ心へ辿り着くのです。
あなたの心が美しければ、
あなたがどの道へ進もうと、あなたはやがて美しい場所へ辿り着くのです。
先生は、どこにでもいますが、
師は、なかなかいません。
あなたが、上位0.1%に入る覚悟があるのなら、
少なくとも上位0.1%の世界にいる人間を師にしてください。
99.9%の確率で、
そういう師と巡り合うことはないでしょう。
しかしこの宇宙は、あなた自身が波動を高めれば、
いとも簡単に師と巡り合えるようにできています。
あなたにはいま、「師」と呼べる人がいますか?
あなたが勝組トレーダーになりたいのなら、
トレードの先生から学べば十分です。
トレードで勝ち続けることなど、おそろしく簡単なのですか。
ただ・・・
トレードで勝ち続けることが、成功ではありません。
あなたがいくら大金を手にしたところで、
心が間違っているのなら、成功するはずもないのです。
実際、
勝組トレーダーの殆どは、負組です。
心が、美しくないのです。
トレードで勝組入りして、成功したものと勘違いしているのです。
要するに、
生き方で失敗しているのです。
あなたは既に、トレードで成功する覚悟を決めているかもしれません。
あなたにとって、「成功」とは何ですか?
本当に、成功する覚悟は決まっていますか?
相場という世界は、この世でもっとも厳しい世界です。
なぜなら、相場は人間そのものだからです。
引き返すなら、今です。
覚悟するのも、今です。
負組トレーダーの覚悟は、おそろしく中途半端です。
生温すぎて、かける言葉もありません。
生半可な覚悟は、覚悟とはいいません。
相場の世界をなめているのです。
覚悟のない負組トレーダーは、
かといって、途中で引き返すこともしません。
中途半端な覚悟で、相場に挑み続け、
延々と、お金と時間を失い続けているのです。
トレードに限った話ではありません。
そういう覚悟のない心が、
私生活の全てに露呈し、
人生においてもお金と時間を失い続けているのです。
覚悟を決めるなら、いま、決めるしかないのです。
決めれないなら、いま、引き返すことです。
覚悟なしに挑んだところで、何もあなたの為になりません。
このブログは、
覚悟が決まっているトレーダーのために書いています。
覚悟のないトレーダーが読んだところで、何の意味もないのです。
覚悟できるトレーダーだけ、ついてきてください。
相場を舞台に、全員で、勝ちにいきましょう。
勝つのではなく、成功するのです。
このブログは、
私の魂と、あなたの魂の対話です。
魂と魂が、触れ合っているのです。
魂も波動を出しています。
私とあなたの波動が一致したとき、
あなたの魂は震え、私の魂も震えるのです。

もう一度、繰り返します。
相場を引き返すなら、今です。
ここで、
引き返すべきか迷っているようなら、
その時点で既に、あなたの覚悟なんて決まっていないということです。
後ろを、
振り返ろうとも思わない。
後ろに、
後退しようとも思わない。
「引き返す」という言葉など、
もともと選択肢にすら無い。
それが、覚悟です。