当たり前を生きるエコノミーと奇跡を生きる成功者
紅茶を味わいながら、
ふと、気付かされます。
さも当然のように、
嗅覚が機能していることが、
どれほど奇跡的で、
どれほど恵まれているのかと・・・
ティーカップが空になると、
「新たな1杯」を想像し、
自然とティーポットに手が伸び、
「新たな1杯」がティーカップへ注がれます。
自分が想像したとおりに、
脳が思考し、
脳が思考したとおりに、
自分の手が動く。
さも当然のごとく、
紅茶の色を愉しめて、
さも当然のごとく、
紅茶が注がれる音を愉しめて、
さも当然のごとく、
紅茶の香りを愉しめて、
さも当然のごとく、
紅茶の味を愉しめて、
さも当然のごとく、
ティーカップの美しさを愉しめて、
さも当然のごとく、
手が動き、
ティーカップが口元まで運ばれて・・・
人間は一体・・・
どれほどの「当たり前」を見過ごしているのでしょうか・・・
あなたがこの記事を読んでいるのは、
あなたの脳が当然のように機能し、
あなたの目が当然のように機能しているからです。
それをまさか、
当然だと思っていませんか?
「当然」とは、「当たり前」のことです。
それがあって、当たり前なのです。
あなたが空気に包まれているのは、当たり前です。
当たり前すぎて、
呼吸する度に「酸素」へ感謝することも忘れているでしょう。
あって当たり前だからです。
エコノミーはいつも、
当たり前の世界を、
当たり前に生きているのです。
季節が移ろうのは、当たり前です。
桜が咲くのは、当たり前です。
あなたの頬を、
風が撫でるのは、
当たり前です。
この星では、
当たり前のことしか起こっていないのです。
夜空に星が瞬くのも、当たり前。
月が輝くのも、
多くの人々にとっては当たり前なんでしょう・・・
当然のことを、
当然だと錯覚したとき。
その瞬間に、
人は終わるのです。
今日も当たり前に昇っている太陽。
その温もりに感動し、
涙するのは、
あなたが死ぬ間際です。
余命が残り数日だと知らされない限り、
あなたは、
太陽の温もりにさえ感謝できないのです。
自分の身体をつかって、
この世を体感できる時間が、
残り数日だろうと、
残り数ヶ月だろうと、
残り数十年だろうと、
同じことだというのに・・・
当たり前に、
また「明日」がやってくると思い込み、
今日の太陽に、
今日の空気に、
今日の風に、
涙できないのなら・・・
あなたは、
何ひとつとして、
覚悟できていないのです。
今日も当たり前のように、
あなたの目の前に、
愛しい人がいるのは、
本当に、
当たり前ですか?
あなたの目の前で起こっている、全てのこと。
当たり前のことが、当たり前でないことに気付けたとき。
あなたの内側から、
感謝が込み上げてくるはずです。
いいえ。
それは感謝ではなく、
愛かもしれません。
当たり前のことを、
どれだけ、
当たり前ではないと思えるか。
それが、
「在り難み」であり、「有り難み」であり、
感謝です。
そして、
感謝という次元を超えたとき。
感謝が、
愛へと変わるのです。
エコノミーは、
当たり前のことを、さも当たり前のように生きています。
成功者は、
当たり前のことを、当たり前とは思っていません。
エコノミーは、
身の周りで起こっている1000個の奇跡のうち、
999個を見逃しながら生きています。
あなたが今この瞬間も生きている奇跡から始まり、
あなたの身の周りで起こっている「全て」が奇跡です。
当たり前を、
見逃さないでください。
それはきっと・・・
当たり前ではないのです。