全て、どうでもいい
私は、
全て、
どうでもいいと思っています。
何もかも、
本当にどうでもいいので、
全く興味がないのです。
たとえば、
日々のトレード結果など、
恐ろしいほど「どうでもいい」ことです。
最終的に勝つことが分かりきっているのですから、
毎回のトレードに一喜一憂しているほうがバカらしいのです。
もちろん、
年齢なんてどうでもいいですし、
性別なんてどうでもいいと思っています。
あなたにとって、年齢とは何ですか?
私は、
年齢などどうでもいいと思っているので、
年齢の意味など考えたこともありません。
考えているだけ時間の無駄です。
ところがエコノミーは、年齢を重要視します。
歳下の人間を蔑み、歳上の人間を敬うのです。
なぜなら、
「年齢」がものをいうと思っているからです。
それが、エコノミーの一般常識です。
年の功が云々、経験値が云々といって、
「年齢」を盾にしながら生きているのです。
負組ほど、「年齢」を意識しています。
そして、
年齢を盾に生きている人間に限って、
成長が止まっています。
とてつもない低次元で生きている人間が、
年齢や性別を判断材料にしているのです。
成功者は、
年齢なんてどうでもいいと思っています。
あなたの年齢に、全く興味がないのです。
あなたが歳上だろうと、
あなたが歳下だろうと、
同じ命だからです。
そして、
その人の成熟度を決めるのは、
年齢ではありません。
成長速度の問題であり、
覚悟の問題であり、
真剣さの問題だからです。
10代で既に成熟し切っている人間もいれば、
60歳を過ぎて尚、未熟なままの人間がゴロゴロいるのです。
どちらが大人かと言えば、
間違いなく、成熟した10代の人間です。
勝組と負組とでは、
「大人」という意味の判断基準が違うのです。
成長することを諦め、
自分流のくだらない世界観で凝り固まっているエコノミーほど、
自分の年齢を盾にします。
年齢しか、秀でているものがないからです。
年齢なんて、
ただひたすら怠惰の日々を過ごしても積み重なっていくものです。
あなたがどれだけくだらない生き方をしても、
あなたは年齢を積み重ねることができるのです。
要するに、
「年齢」では何も測れないのです。
しかし残念なことに、
負組は「年齢」で人を測ろうとします。
繰り返しますが、
「年齢」に意味はありません。
いつも聞いてますが・・・
あなたにとって、
覚悟とは何ですか?
本当に、覚悟が決まっていますか?
若くして散った特攻隊の勇士たちは、
飛び立つ直前にこんな言葉を遺しています。

飛び立てば、最期。
戻ることは、決して許されません。
作戦の条件は、「決死」です。
必ず死ぬことが、決まっているのです。
覚悟とは、そういうことです。

翌日に死ぬことが分かっている中で、
どういう心で文字を綴ったのでしょうか・・・

同情をすることさえ、冒涜です。
あなたがどれだけ同情しようと、
同じ立場に置かれない限り、
同じ気持ちにはなれないのです。
決して、
同じ次元で覚悟できるはずもありません。
私はよく、
「無心」という言葉を遣いますが、
あなたにとって、
無心とは何ですか?
無心とは、
一点の曇りもなく完璧に澄み切った状態です。

彼らの笑顔の中にある瞳は、
なぜこれほどまでに澄み切り、
透き通っているのでしょうか?
覚悟が、決まっているからです。
この世を、悟っているのです。
今この瞬間を、
心の底から愉しんでいるのです。
決死の覚悟がなければ、
同じ次元で人生を愉しむことはできないということです。
真剣さとは、そういうことです。
あなたは今、
どれほど覚悟が決まり、
どれほど真剣に、
どれほど人生を愉しめていますか?
彼らは、
家族の為に旅立ったのではありません。
愛する母のためでもなく、
愛する子供のためでもなく、
愛する妻のためでもなく、
愛する「全ての人」のために、この世を去ったのです。
つまり、
未来のためです。
愛の次元が違うのです。

御国の子皆とは、
あなたのことです。
一人々々とは、
あなたのことです。
自分の死期が迫ってなお、
あなたのことを慮り、
あなたのことを愛してくださっていたのです。
それが、愛です。
彼らは疑いようもなく、
あなたのために、命を失ったのです。

遠い祖国の人達とは、
あなたのことです。
天国から見れば、この世は「遠く」感じるのかもしれません。
自分が死ぬというときに、
あなたがあなたの命を愉しめるよう、願ってくださったのです。
あなたは今、
人生を愉しむ覚悟は決まっていますか?
この星を味わい尽くす覚悟はできていますか?
あなたの魂は今、喜んでいますか?
未来にワクワクできていないのなら、
何ひとつとして、覚悟できていないということです。
自分の魂に、素直になってください。
あなたの魂は、
地球を味わい尽くしたいと叫んでいるのです。
魂は、何よりも正直です。
鹿児島県には、知覧特攻平和会館があります。
私はたびたび、この地を訪れています。
あなたもこの地球に生きている以上、
少なくとも一度は知覧を訪れてください。
ここには、
彼らが亡くなる前の数日間を過ごした三角兵舎もあります。

あなた自身の身体で、感じ取ってください。
あまりに小さく、あまりに質素な布団。
どれほどの思いで、最期の一夜を明かしたのか・・・
彼らの悩みに比べれば、
あなたの悩みなど、悩みではないでしょう。
命を気にすることもなく、
今夜も温かい布団に包まれて眠れるあなたは、
いったいどれほど幸せなのですか?
この三角兵舎に佇んだとき、あなたは愕然とするでしょう。
数え切れないほどの命の上に、
自分の命が生かされているということに気づくはずです。
あなた自身の足で現地を訪れて、感謝を伝えてください。
数え切れない遺言の中に、
「年齢」の無意味さを知らされるでしょう。
彼らは17歳から20代前半の若さで、旅立ちました。
その筆に込められた思い。
とても10代の人間が書いたとは思えない文章の力。
その達筆さ。
それは全て、
決死の覚悟からきているものです。
十代で既に、成熟しているのです。
どれだけ真剣に、「死」と向き合えているか?
それが、
あなたの成熟度です。
知覧特効平和会館のロビーには、この絵が展示されています。

私はこの絵を見た瞬間に涙が溢れ、枯れ切ってしまいました。
燃え上がる機体から、
既に命を失った特攻隊を昇天させるため、
6人の天女たちが彼の魂を優しく包み込んでいます。
全力で命を生き切った人間の美しさ。
それを迎える彼女達の深い愛。
なぜかそこに散る1本の桜。
本当の意味での、星の輝き、
本当の意味での、桜の美しさに気付けるのは、
一体いつでしょうか?

現地を訪れる前に、
この2本の映画をご覧ください。
・風立ちぬ

・永遠のゼロ

あなたはもしかすると、
こんな風に思っているかもしれまん。
「決死の覚悟がなければ、成功できない」
「決死の覚悟がなければ、人生を愉しめない」
別に、
決死の覚悟なんて必要ありません。
あなたが覚悟しようと、
覚悟しまいと、
あなたが死ぬことは決まっているのです。
決死の覚悟がなくとも、
あなたは死ぬのです。
あなたの覚悟など、どうでもいいのです。
あなたがどれだけ命を無駄にしながら生きようと、
あなたは年齢を重ね、
今と同じ延長線上で死ぬだけです。
生かされている命を無駄にしたくないのなら、
今この瞬間、
覚悟を決めてください。
あなたは、死にます。
私も、死にます。
この最高に美しい星と、
別れなければならない日が訪れるのです。
この星に命を授かって、消え逝くこと。
あなたは、
あなたの命をどれだけ真剣に考えていますか?
その悩みに比べれば、
あなたが抱えている全ての悩みは、「悩み」とは呼べないはずです。

清く。
美しく。
健康であれ。